大澤界雄
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- おおさわ かいゆう
- 大澤界雄
- 陸軍中将正四位勲二等功三級
- 輜重兵
- 士官生徒4 陸大4優等
- 愛知県
- 安政6年9月24日 - 昭和4年10月15日
経歴
安政6年9月24日 | 生 |
明治12年1月 | 陸軍士官学校入校 |
明治14年12月24日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治18年5月16日 | 任陸軍歩兵中尉[1] |
明治19年1月19日 | 陸軍大学校入学 |
明治21年11月28日 | 陸軍大学校卒業(第4期優等) |
明治22年11月2日 | 任陸軍輜重兵中尉(転科)[1] |
明治34年7月24日 | 参謀本部第3部長心得 |
明治34年11月3日 | 陸軍輜重兵大佐・参謀本部第3部長[2] |
明治37年2月10日 | 大本営運輸通信部長官 |
明治38年1月20日 | 陸軍少将 |
明治40年11月13日 | 参謀本部附被仰付[3] |
明治41年1月22日 | 参謀本部第3部長事務取扱 |
明治41年12月21日 | 参謀本部第3部長 |
明治44年12月27日 | 由良要塞司令官 |
明治45年2月14日 | 任陸軍中将[4][5] |
大正1年9月28日 | 待命 |
大正3年1月20日 | 予備役 |
昭和4年10月15日 | 卒去 |
栄典
明治23年3月10日 | 大日本帝国憲法発布記念章 |
明治25年1月12日 | 叙正七位 |
明治28年11月15日 | 叙従六位 |
明治35年2月20日 | 叙従五位[6] |
勲四等瑞宝章[1] | |
明治38年3月2日 | 叙正五位 |
明治38年11月30日 | 勲三等瑞宝章 |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 勲二等旭日重光章 明治三十七八年従軍記章[7] |
明治43年3月30日 | 叙従四位[8] |
大正3年2月20日 | 叙正四位(特旨)[9] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[10] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 大沢界雄 - Wikipedia
- ↑ 1.0 1.1 1.2 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治36年7月1日調
- ↑ 明治40年11月13日まで在職
- ↑ 官報第7315号 明治40年11月14日(木曜日)
- ↑ 官報第8594号 明治45年2月15日(木曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に2月24日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第5587号 明治35年2月21日(金曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月30日(日曜日)
- ↑ 官報第8028号 明治43年3月31日(木曜日)
- ↑ 官報第468号 大正3年2月21日(土曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)