奥村元佶
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- おくむら げんきつ
- 奥村元佶
- 陸軍少将従四位勲三等功四級
- 輜重兵
- 士官生徒4
- 山梨県平民
- 文久1年10月15日 - 大正8年2月
経歴
文久1年10月15日 | 生[1] |
明治12年1月 | 陸軍士官学校入校 |
明治14年12月24日 | 任陸軍騎兵少尉 |
明治15年12月27日 | 任陸軍輜重兵少尉(転科)[3] |
明治18年1月6日 | 任陸軍輜重兵中尉[3] |
明治21年8月18日 | 輜重兵第6大隊第1中隊長心得被仰付[4] |
明治21年11月16日 | 任陸軍輜重兵大尉[5][3] |
明治21年11月17日 | 補輜重兵第6大隊中隊長[6] |
明治21年12月26日 | 補輜重兵第3大隊第1中隊長[7] |
明治25年5月12日 | 補輜重兵第3大隊附[8] |
明治27年4月11日 | 補輜重兵監副官[9] |
明治27年12月5日 | 任陸軍輜重兵少佐[3] |
明治28年 | 占領地総督部兵站司令官 |
明治28年10月13日 | 帰朝被仰付[10] |
明治28年11月15日 | 補輜重兵第1大隊長[11] |
明治31年10月1日 | 任陸軍輜重兵中佐[12][3] |
明治32年3月22日 | 兼補砲兵会議議員[13] |
明治34年11月3日 | 任陸軍輜重兵大佐[3] |
明治40年11月13日 | 任陸軍少将 予備被仰付[14] |
大正6年4月1日 | 後備役[15] |
大正8年2月 | 卒去 |
栄典
明治18年3月5日 | 叙従七位[16] |
明治28年3月14日 | 叙従六位[17] |
明治28年5月23日 | 勲六等瑞宝章[18] |
明治28年10月31日 | 勲五等双光旭日章 年金100円 (明治二十七八年戦役の功)[19] |
明治35年2月20日 | 叙従五位[20] |
明治39年4月1日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 勲三等旭日中綬章 明治三十七八年従軍記章[21] |
明治40年3月20日 | 叙正五位[22] |
明治40年12月10日 | 叙従四位(特旨)[23] |
大正8年2月18日 | 卒去ニ付キ勅使トシテ河鰭實英ヲ差遣ハサレ幣帛ヲ下賜セラル[24] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 奥村元佶 (第4版) - 『人事興信録』データベース
- ↑ 人事興信録 2版(明41.6刊)
- ↑ 3.0 3.1 3.2 3.3 3.4 3.5 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治36年7月1日調
- ↑ 官報第1544号 明治21年8月21日(火曜日)
- ↑ 官報第1617号 明治21年11月17日(土曜日)
- ↑ 官報第1618号 明治21年11月19日(月曜日)
- ↑ 官報第1651号 明治21年12月28日(金曜日)
- ↑ 官報第2660号 明治25年5月13日(金曜日)
- ↑ 官報第3233号 明治27年4月13日(金曜日)
- ↑ 官報第3695号 明治28年10月22日(火曜日)
- ↑ 官報第3719号 明治28年11月19日(火曜日)
- ↑ 官報第4579号 明治31年10月3日(月曜日)
- ↑ 官報第4714号 明治32年3月23日(木曜日)
- ↑ 官報第7315号 明治40年11月14日(木曜日)
- ↑ 官報第1401号 大正6年4月6日(金曜日)
- ↑ 官報第536号 明治18年4月18日(土曜日)
- ↑ 官報第3510号 明治28年3月15日(金曜日)
- ↑ 官報第3578号 明治28年6月5日(水曜日)
- ↑ 官報第3704号 明治28年11月1日(金曜日)
- ↑ 官報第5587号 明治35年2月21日(金曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月5日(水曜日)
- ↑ 官報第7115号 明治40年3月21日(木曜日)
- ↑ 官報第7337号 明治40年12月11日(水曜日)
- ↑ 官報第1962号 大正8年2月19日(水曜日)