宇都宮太郎
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- うつのみや たろう
- 宇都宮太郎
- 陸軍大将正三位勲一等功三級
- 歩兵
- 士官生徒7 陸大6
- 佐賀県
- 文久1年3月18日 - 大正11年2月15日
経歴
文久1年3月18日 | 生 |
明治18年6月18日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治20年11月20日 | 陸軍大学校入学 |
明治23年12月23日 | 陸軍大学校卒業(第6期) |
明治31年10月1日 | 任陸軍歩兵少佐[1] |
明治34年1月15日 | 英国公使館附 |
明治36年1月13日 | 任陸軍歩兵中佐[1] |
明治38年3月1日 | 任陸軍歩兵大佐[1] |
明治39年3月20日 | 陸軍大学校幹事 |
明治40年5月7日 | 歩兵第1聯隊長 |
明治41年12月21日 | 参謀本部第1部長 |
明治42年1月28日 | 任陸軍少将[1] |
明治42年12月1日 | 参謀本部第2部長 |
大正3年5月11日 | 任陸軍中将[1]・第7師団長 |
大正5年8月18日 | 第4師団長 |
大正7年7月24日 | 朝鮮軍司令官 |
大正8年11月25日 | 任陸軍大将[1] |
大正9年8月16日 | 軍事参議官 |
大正11年2月15日 | 薨去 |
栄典
明治18年9月16日 | 叙正八位 |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[2] |
明治26年12月27日 | 叙正七位 |
明治28年10月19日 | 功五級金鵄勲章 勲六等瑞宝章[3] |
明治31年10月31日 | 叙従六位 |
明治32年7月4日 | 大清帝国三等第二双龍宝星佩用允許 |
明治36年4月10日 | 叙正六位 |
明治38年4月7日 | 叙従五位 |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章 |
明治42年4月20日 | 叙正五位 |
明治45年時点 | 勲三等旭日中綬章 大英帝国三等ヴィクトリア勲章[4] |
大正3年4月30日 | 叙従四位[5] |
大正3年11月30日 | 勲二等瑞宝章[6] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[7] |
大正5年5月20日 | 叙正四位 |
大正8年6月10日 | 叙従三位 |
大正9年1月30日 | 勲一等瑞宝章 |
大正9年時点 | 中華民国二等文虎勲章[1] |
大正9年11月1日 | 旭日大綬章 賜金3200円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[8] 戦捷記章[9] |
大正11年2月15日 | 薨去 叙正三位(特旨)[10] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第4810号 明治32年7月14日(金曜日)
- 官報第2246号 大正9年1月31日(土曜日)