村木雅美
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- むらき まさみ
- 村木雅美
- 陸軍中将正三位勲一等功四級男爵
- 砲兵
- 士官生徒2
- 高知県
- 安政3年10月18日 - 大正11年12月8日
経歴
安政3年10月18日 | 生 |
明治8年 | 陸軍士官学校入校 |
明治12年2月1日 | 任陸軍少尉 |
明治27年8月31日 | 砲兵第1方面本署長 |
明治30年9月15日 | 陸軍省軍務局砲兵課長 |
明治30年10月11日 | 陸軍砲兵大佐 |
明治34年2月9日 | 陸軍少将・東宮武官長 |
明治39年7月6日 | 陸軍中将 |
明治40年12月11日 | 兼任東宮大夫 叙高等官一等[1] |
明治44年6月2日 | 依願免東宮大夫[2] |
大正1年8月5日 | 侍従武官 |
大正1年10月3日 | 待命 |
大正1年12月17日 | 貴族院議員 |
大正1年12月27日 | 予備役 |
大正6年12月25日 | 竹田宮宮務監督被仰付[3] |
大正8年4月1日 | 後備役編入[4] |
大正9年1月23日 | 竹田宮宮務監督被免 東久邇宮宮務監督被仰付[5] |
大正11年12月8日 | 薨去[6] |
栄典
位階勲等
明治17年10月20日 | 叙正七位[7] |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[8] |
明治25年5月28日 | 勲六等瑞宝章[9] |
明治27年11月27日 | 叙正六位[10] |
明治28年10月18日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 単光旭日章[11] |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章[12] |
明治29年11月25日 | 勲五等瑞宝章[13] |
明治30年10月30日 | 叙従五位 |
明治34年6月10日 | 叙正五位[14] |
明治34年12月27日 | 勲三等瑞宝章 賜金650円[15] |
明治39年4月1日 | 勲二等旭日重光章 賜金3000円 明治三十七八年従軍記章[16] |
明治39年6月30日 | 叙従四位[17] |
明治40年9月21日 | 依勲功特授男爵[18] |
明治42年4月18日 | 皇太子渡韓記念章[19] |
明治44年7月20日 | 叙正四位[20] |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[21] |
大正1年12月28日 | 叙従三位(特旨)[22] |
大正1年12月31日 | 勲一等瑞宝章[23] |
大正2年11月12日 | 木杯一組下賜[24] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[25] |
大正4年12月1日 | 授旭日大綬章[26] |
大正5年4月1日 | 賜金1500円 (大正三四年事件の功)[27] |
大正9年6月10日 | 木杯一組ヲ賜フ[28] |
大正9年11月1日 | 金杯一箇ヲ賜フ (大正四年乃至九年事件の功)[29] |
大正11年12月8日 | 薨去 叙正三位(特旨)[30] |
位階勲等
明治19年9月18日 | イタリア王国五等聖マウリッツィオ・ラザロ勲章 オーストリア=ハンガリー帝国三等鉄冠勲章 ドイツ国三等王冠勲章 スウェーデンノルウェー連合王国五等剣勲章[31] |
明治19年9月30日 | ベルギー王国五等レオポルド勲章[32] |
明治19年10月18日 | デンマーク王国三等ダンネブロ勲章[33] |
明治21年5月1日 | ロシア帝国聖スタニスラス第二等勲章[34] |
明治25年4月11日 | ロシア帝国聖アンナ第二等勲章[35] |
明治25年12月28日 | フランス共和国五等レジオンドヌール勲章[36] |
明治26年3月6日 | 安南国三等龍星勲章[37] |
明治26年9月15日 | オーストリア=ハンガリー帝国二等フランツ・ヨーゼフ勲章[38] |
明治31年5月18日 | イタリア王国三等聖マウリッツィオ・ラザロ勲章 大清帝国三等第一双龍宝星[39] |
明治32年5月22日 | ロシア帝国聖スタニスラス星附第二等勲章[40] |
明治32年7月4日 | 大清帝国二等第三双龍宝星[41] |
明治33年4月17日 | スペイン王国三等陸軍武功勲章[42] |
明治38年6月16日 | 大韓帝国勲一等八卦章[43] |
明治40年12月5日 | 大韓帝国勲一等太極章[44] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 官報第7338号 明治40年12月12日(木曜日)
- ↑ 官報第8383号 明治44年6月3日(土曜日)
- ↑ 官報第1621号 大正6年12月26日(水曜日)
- ↑ 官報第2006号 大正8年4月14日(月曜日)
- ↑ 官報第2240号 大正9年1月24日(土曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に2月8日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第471号 明治18年1月28日(水曜日)
- ↑ 官報第1938号 明治22年12月12日(木曜日)
- ↑ 官報第2680号 明治25年6月6日(月曜日)
- ↑ 官報第3426号 明治27年11月28日(水曜日)
- ↑ 官報第3693号 明治28年10月19日(土曜日)
- ↑ 官報第3824号 明治29年4月1日(水曜日)
- ↑ 官報第4027号 明治29年11月30日(月曜日)
- ↑ 官報第5380号 明治34年6月11日(火曜日)
- ↑ 官報第5548号 明治34年12月28日(土曜日)
- ↑ 官報号外 明治40年1月28日(月曜日)
- ↑ 官報第6901号 明治39年7月2日(月曜日)
- ↑ 官報第7272号 明治40年9月23日(月曜日)
- ↑ 官報第7771号 明治42年5月24日(月曜日)
- ↑ 官報第8424号 明治44年7月21日(金曜日)
- ↑ 官報第248号 大正2年5月29日(木曜日)
- ↑ 官報第126号 大正1年12月29日(日曜日)
- ↑ 官報第127号 大正2年1月4日(土曜日)
- ↑ 官報第527号 大正3年5月4日(月曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第1001号 大正4年12月2日(木曜日)
- ↑ 官報第1218号 大正5年8月21日(月曜日)
- ↑ 官報第2356号 大正9年6月10日(木曜日)
- ↑ 官報第2712号 大正10年8月15日(月曜日)
- ↑ 官報第3109号 大正11年12月11日(月曜日)
- ↑ 官報第969号 明治19年9月21日(火曜日)
- ↑ 官報第981号 明治19年10月6日(水曜日)
- ↑ 官報第994号 明治19年10月21日(木曜日)
- ↑ 官報第1452号 明治21年5月5日(月曜日)
- ↑ 官報第2636号 明治25年4月15日(金曜日)
- ↑ 官報第2853号 明治26年1月4日(水曜日)
- ↑ 官報第2907号 明治26年3月11日(土曜日)
- ↑ 官報第3070号 明治26年9月20日(水曜日)
- ↑ 官報第4464号 明治31年5月20日(金曜日)
- ↑ 官報第4773号 明治32年6月1日(木曜日)
- ↑ 官報第4810号 明治32年7月14日(金曜日)
- ↑ 官報第5039号 明治33年4月23日(月曜日)
- ↑ 官報第6594号 明治38年6月24日(土曜日)
- ↑ 官報第7339号 明治40年12月13日(金曜日)
カテゴリ:
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