宮地久壽馬
ナビゲーションに移動
検索に移動
- みやぢ くすま
- 宮地久壽馬
- 陸軍中将正三位勲一等功四級
- 歩兵
- 士候5 陸大16
- 高知県
- 明治5年11月25日 - 昭和20年9月30日
経歴
明治5年11月25日 | 生 |
明治27年7月27日 | 陸軍士官学校卒業(士候5) |
明治27年10月11日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治32年12月13日 | 陸軍大学校入学 |
明治35年11月28日 | 陸軍大学校卒業(第16期) |
明治44年9月6日 | 任陸軍歩兵中佐[1] |
陸軍大学校兵学教官[2] | |
大正2年1月15日 | 補歩兵第37聯隊附[2][3] |
大正3年1月14日 | 補堺聯隊区司令官[3] |
大正4年8月10日 | 陸軍歩兵大佐・歩兵第68聯隊長 |
大正6年8月6日 | 第1師団参謀長 |
大正7年12月17日 | 中支那派遣隊司令官 |
大正8年4月15日 | 陸軍少将 |
大正9年8月10日 | 歩兵第12旅団長 |
大正11年4月1日 | 近衛歩兵第1旅団長 |
大正13年2月4日 | 陸軍中将・旅順要塞司令官 |
大正13年8月20日 | 陸軍士官学校長 |
大正15年3月2日 | 第14師団長 |
昭和4年8月1日 | 待命 |
昭和4年8月31日 | 予備役 |
昭和10年4月1日 | 後備役 |
昭和14年4月1日 | 退役[4] |
昭和20年9月30日 | 薨去 |
栄典
明治35年5月10日 | 明治三十三年従軍記章[5] |
明治36年4月26日 | 大清帝国三等第一双龍宝星佩用允許 |
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲四等旭日小綬章 明治三十七八年従軍記章[6] |
功四級金鵄勲章 | |
明治42年4月18日 | 皇太子渡韓記念章[7] |
明治45年5月24日 | 勲三等瑞宝章 |
大正9年9月29日 | 勲二等瑞宝章[8] |
大正13年3月29日 | 叙従四位 |
昭和2年6月20日 | 勲一等瑞宝章 |
昭和4年9月30日 | 叙正三位(特旨)[9] |
昭和9年4月29日 | 昭和六年乃至九年事変従軍記章[10] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[11] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第5975号 明治36年6月4日(木曜日)
- 官報第8679号 明治45年5月27日(月曜日)
- 官報第3501号 大正13年4月28日(月曜日)
- 官報第2503号 昭和10年5月10日(金曜日)
- ↑ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正3年7月1日調
- ↑ 2.0 2.1 官報第137号 大正2年1月16日(木曜日)
- ↑ 3.0 3.1 官報第437号 大正3年1月15日(木曜日)
- ↑ 官報第3731号 昭和14年6月15日(木曜日)
- ↑ 官報第5820号 明治35年11月26日(水曜日)
- ↑ 官報第7031号 明治39年12月5日(水曜日)
- ↑ 官報第7771号 明治42年5月24日(月曜日)
- ↑ 官報第2449号 大正9年9月30日(木曜日)
- ↑ 官報第842号 昭和4年10月19日(土曜日)
- ↑ 官報第2995号 昭和11年12月24日(木曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)