南次郎
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- みなみ じろう
- 南 次郎
- 陸軍大将正二位勲一等功四級
- 騎兵
- 士候6 陸大17
- 大分県
- 明治7年8月10日 - 昭和30年12月5日
経歴
明治7年8月10日 | 生 |
明治28年2月1日 | 陸軍士官学校卒業(士候6) |
明治28年5月22日 | 任陸軍騎兵少尉 |
明治33年12月15日 | 陸軍大学校入学 |
明治36年11月28日 | 陸軍大学校卒業(第17期) |
明治38年3月1日 | 任陸軍騎兵少佐[1] |
明治40年10月21日 | 陸軍大学校兵学教官[2][3] |
明治43年2月7日 | 任陸軍騎兵中佐[1] |
明治43年4月9日 | 補陸軍騎兵実施学校教官[3] |
大正3年1月20日 | 騎兵第13聯隊長 |
大正4年8月10日 | 任陸軍騎兵大佐[1] |
大正6年8月6日 | 陸軍省軍務局騎兵課長 |
大正8年7月25日 | 任陸軍少将・支那駐屯軍司令官[1] |
大正10年1月20日 | 騎兵第3旅団長[4] |
大正11年2月8日 | 補陸軍騎兵学校長[4][5] |
大正12年10月10日 | 陸軍士官学校長 |
大正13年2月4日 | 陸軍中将 |
大正13年8月20日 | 騎兵監 |
大正15年3月2日 | 第16師団長 |
昭和2年3月5日 | 参謀次長 |
昭和4年8月1日 | 朝鮮軍司令官 |
昭和5年3月7日 | 陸軍大将 |
昭和5年12月22日 | 軍事参議官 |
昭和6年4月14日 | 陸軍大臣 |
昭和6年12月13日 | 軍事参議官 |
昭和9年2月9日 | 議定官 |
昭和9年12月10日 | 補関東軍司令官(親補) 兼任特命全権大使関東長官 満洲国駐箚被仰付(特命全権大使)[6] |
昭和11年3月6日 | 参謀本部附 |
昭和11年4月18日 | 待命 |
昭和11年4月22日 | 予備役 |
昭和11年8月5日 | 朝鮮総督 |
昭和17年5月29日 | 任枢密顧問官 |
昭和20年3月29日 | 依願免本官(枢密顧問官) 大日本政治会総裁 |
昭和20年3月31日 | 貴族院議員(~昭和20年12月7日) |
昭和30年12月5日 | 薨去 |
栄典
明治28年11月15日 | 叙正八位 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治30年12月15日 | 叙従七位 |
明治32年3月31日 | 勲六等瑞宝章 |
明治34年2月28日 | 叙正七位 |
明治37年11月29日 | 勲五等瑞宝章 |
明治38年4月7日 | 叙従六位 |
明治39年4月1日 | 功四級金鵄勲章 勲四等旭日小綬章 |
明治42年2月25日 | 大清帝国二等第三双龍宝星佩用允許 |
明治43年4月11日 | 叙正六位 |
大正2年5月31日 | 勲三等瑞宝章 |
大正4年4月30日 | 叙従五位 |
大正8年9月10日 | 叙正五位 |
大正9年時点 | 中華民国三等文虎勲章[1] |
大正9年11月1日 | 旭日中綬章 戦捷記章[7] |
大正11年1月31日 | 勲二等瑞宝章 |
大正13年3月29日 | 叙従四位 |
大正15年4月15日 | 叙正四位 |
昭和4年9月2日 | 叙従三位 |
昭和5年1月20日 | 勲一等瑞宝章[8] |
昭和6年9月15日 | 叙正三位 |
昭和7年10月1日 | 朝鮮昭和五年国勢調査記念章 |
昭和9年2月7日 | 旭日大綬章[9] |
昭和9年5月9日 | 満洲国勲一位龍光大綬章佩用允許[10] |
昭和10年12月23日 | 旭日桐花大綬章 昭和六年乃至九年事変従軍記章[11] |
昭和12年3月1日 | 叙従二位[12] |
昭和15年4月29日 | 銀杯一組 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章 |
昭和16年5月14日 | ドイツ鷲勲章大十字章佩用允許[13] |
昭和19年3月1日 | 叙正二位 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第3501号 大正13年4月28日(月曜日)
- 官報第1433号 昭和6年10月7日(水曜日)
- 官報第1900号 昭和8年5月5日(金曜日)
- 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正9年9月1日調
- ↑ 明治40年10月22日官報・明治40年10月23日官報では見つけられなかった。
- ↑ 3.0 3.1 官報第8037号 明治43年4月11日(月曜日)
- ↑ 4.0 4.1 官報第2855号 大正11年2月9日(木曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に大正10年7月20日陸軍騎兵実施学校長とあるが誤り。
- ↑ 官報第2384号 昭和9年12月11日(火曜日)
- ↑ 官報第2903号 大正11年4月10日(月曜日)
- ↑ 官報第916号 昭和5年1月21日(火曜日)
- ↑ 官報第2129号 昭和9年2月8日(木曜日)
- ↑ 官報第2800号 昭和11年5月6日(水曜日)
- ↑ 官報第2696号 昭和10年12月27日(金曜日)
- ↑ 官報第3046号 昭和12年3月2日(火曜日)
- ↑ 官報第4304号 昭和16年5月16日(金曜日)