小池正晁
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- こいけ まさあき
- 小池正晁
- 陸軍軍医中将正三位勲二等男爵医学博士
- 衛生部
- 東京都
- 明治17年2月23日 - 昭和16年6月18日
経歴
明治17年2月23日 | 生 |
明治43年6月28日 | 任陸軍二等軍医(初任) |
大正7年12月17日 | 任陸軍三等軍医正[1] |
大正11年4月1日 | 陸軍軍医学校教官[1] |
大正12年6月13日 | 任陸軍二等軍医正[1] |
大正14年12月2日 | 任陸軍一等軍医正[1] |
昭和2年3月5日 | 東京第2衛戍病院長兼陸軍軍医学校教官 |
昭和4年8月1日 | 陸軍省医務局医事課長 |
昭和6年8月1日 | 任陸軍軍医監・東京第1衛戍病院長 |
昭和7年8月8日 | 補第1師団軍医部長[2] |
昭和9年3月5日 | 朝鮮軍軍医部長 |
昭和10年8月1日 | 任陸軍軍医総監 |
昭和12年2月15日 | 陸軍軍医中将(階級呼称変更) |
昭和12年3月1日 | 待命 |
昭和12年3月29日 | 予備役 |
昭和13年6月4日 | 貴族院議員 |
昭和16年6月18日 | 薨去 |
栄典
大正3年1月20日 | 男爵(襲爵) |
大正6年1月10日 | 叙正五位 |
大正12年4月9日 | 医学博士 |
大正13年1月21日 | 叙従四位 |
大正13年時点 | 勲六等瑞宝章[3] |
大正15年時点 | 勲五等瑞宝章[1] |
昭和6年時点 | 正四位[4] |
昭和7年時点 | 勲四等瑞宝章[5] |
昭和10年時点 | 勲二等瑞宝章[6] |
昭和11年10月1日 | 叙従三位[7] |
昭和12年4月28日 | 叙正三位(特旨) |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第3096号 昭和12年5月3日(月曜日)