小泉恭次
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- こいずみ きょうじ
- 小泉恭次
- 陸軍中将正四位勲二等
- 歩兵
- 士候18 陸大27
- 山形県士族
- 明治19年2月2日 - 昭和21年12月10日自決
経歴
明治19年2月2日 | 生[1] |
明治38年11月25日 | 陸軍士官学校卒業(士候18) |
明治39年6月26日 | 任陸軍歩兵少尉 |
大正1年12月13日 | 陸軍大学校入学 |
大正4年12月11日 | 陸軍大学校卒業(第27期) |
大正11年4月1日 | 任陸軍歩兵少佐[2] |
歩兵第29聯隊附[3] | |
大正15年3月2日 | 任陸軍歩兵中佐[2] 補歩兵第32聯隊附[3][4] |
昭和2年3月15日 | 補天津駐屯歩兵隊長[4][5] |
昭和3年8月10日 | 補東京警備参謀[5] |
昭和5年8月1日 | 任陸軍歩兵大佐[1]・名古屋聯隊区司令官 |
昭和7年5月23日 | 歩兵第16聯隊長 |
昭和8年3月18日 | 近衛歩兵第1聯隊長 |
昭和10年3月15日 | 仙台陸軍教導学校長 |
昭和10年8月1日 | 陸軍少将 |
昭和11年3月23日 | 歩兵第1旅団長 |
昭和12年8月2日 | 第14師団司令部附 |
昭和13年7月15日 | 陸軍中将・鎮海湾要塞司令官 |
昭和14年3月9日 | 待命 |
昭和14年3月20日 | 予備役被仰付 |
昭和20年5月5日 | 補東部軍管区兵務部長 |
昭和20年8月25日 | 補第142師団長 |
昭和21年12月10日 | 自決 |
栄典
昭和9年4月29日 | 昭和六年乃至九年事変従軍記章[6] |
昭和9年12月1日 | 叙正五位[7] |
昭和14年4月19日 | 叙正四位(特旨)[8] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第103号 昭和20年5月5日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120941400
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第1号 昭和20年8月31日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120963200
- 官報第3661号 昭和14年3月22日(水曜日)
- 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)