小畑敏四郎
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- おばた としろう
- 小畑敏四郎
- 陸軍中将従三位勲一等
- 歩兵
- 士候16 陸大23優等
- 高知県
- 明治18年2月19日 - 昭和22年1月20日
経歴
明治18年2月19日 | 生 |
明治37年10月24日 | 陸軍士官学校卒業(士候16) |
明治37年11月1日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治41年12月25日 | 陸軍大学校入学 |
明治44年11月29日 | 陸軍大学校卒業(第23期優等) |
大正8年7月25日 | 任陸軍歩兵少佐 |
大正9年6月18日 | ロシア大使館附武官 |
大正11年11月6日 | 参謀本部部員 |
大正12年8月6日 | 任陸軍歩兵中佐・陸軍大学校兵学教官 |
昭和1年12月28日 | 参謀本部作戦課長 |
昭和2年7月26日 | 陸軍歩兵大佐 |
昭和3年8月10日 | 歩兵第10聯隊長 |
昭和5年8月1日 | 陸軍歩兵学校研究部主事 |
昭和6年8月1日 | 陸軍大学校兵学教官 |
昭和7年2月20日 | 参謀本部作戦課長 |
昭和7年4月11日 | 陸軍少将・参謀本部第3部長 |
昭和8年8月1日 | 近衛歩兵第1旅団長 |
昭和9年3月5日 | 陸軍大学校幹事兼同校兵学教官 |
昭和10年3月15日 | 補陸軍大学校長[1] |
昭和11年3月7日 | 陸軍中将 |
昭和11年8月1日 | 依願予備役被仰付[2] |
昭和12年8月25日 | 留守第14師団長 |
昭和14年10月 | 召集解除 |
昭和20年8月19日 | 任国務大臣 |
昭和20年10月9日 | 依願免本官 |
昭和22年1月20日 | 薨去 |
栄典
大正2年5月31日 | 勲五等瑞宝章 |
大正6年3月14日 | ロシア帝国神聖アンナ剱付第二等勲章佩用允許 |
大正7年7月10日 | 叙従六位 |
大正12年9月30日 | 勲三等瑞宝章[3] |
昭和2年9月1日 | 従五位 |
昭和9年2月7日 | 勲二等瑞宝章[4] |
昭和11年4月15日 | 叙従四位 |
昭和11年8月20日 | 叙正四位(特旨)[5] |
昭和15年4月29日 | 勲一等瑞宝章 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[6] |
昭和20年9月1日 | 叙従三位 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第251号 大正2年6月2日(月曜日)