尾野實信
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- おの みのぶ
- 尾野實信
- 陸軍大将正三位勲一等功三級
- 歩兵
- 士官生徒10 陸大10首席
- 福岡県
- 慶応1年10月15日 - 昭和21年4月19日
経歴
慶応1年10月15日 | 生 |
明治21年7月28日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治24年11月 | 陸軍大学校入学 |
明治27年7月24日 | 陸軍大学校中退 |
明治29年2月29日 | 陸軍大学校復校 |
明治29年3月11日 | 陸軍大学校卒業(第10期首席) |
明治35年5月5日 | 任陸軍歩兵少佐[1] |
明治37年6月20日 | 満洲軍参謀兼大山元帥副官 |
明治38年3月1日 | 任陸軍歩兵中佐[1] |
明治38年5月11日 | 満洲軍総兵站監部参謀 |
明治39年12月20日 | 参謀本部部員兼大山元帥副官 |
明治40年11月13日 | 任陸軍歩兵大佐[1]・陸軍省軍務局歩兵課長 |
明治41年11月10日 | ドイツ公使館附武官 |
明治43年10月1日 | 第1師団司令部附 |
明治43年11月30日 | 歩兵第37聯隊長 |
明治44年12月27日 | 中清派遣隊司令官 |
明治45年3月5日 | 任陸軍少将[1]・歩兵第8旅団長 |
大正3年5月11日 | 参謀本部第1部長 |
大正5年1月21日 | 兼参謀本部総務部長 |
大正5年3月24日 | 参謀本部総務部長 |
大正5年8月18日 | 任陸軍中将[2]・第10師団長 |
大正7年8月9日 | 第15師団長 |
大正8年11月25日 | 教育総監部本部長 |
大正10年6月11日 | 陸軍次官 |
大正11年5月10日 | 任陸軍大将[2] 補関東軍司令官(親補) |
大正12年10月10日 | 軍事参議官 |
大正14年5月1日 | 待命 |
大正14年5月25日 | 予備役 |
昭和6年4月1日 | 後備役 |
昭和10年4月1日 | 退役 |
昭和21年4月19日 | 薨去 |
栄典
明治36年4月26日 | バーデン大公国三等ツェーリンゲン獅子勲章佩用允許 |
明治38年4月7日 | 叙正六位 |
明治40年12月27日 | 叙従五位 |
明治45年5月10日 | 叙正五位 |
明治45年時点 | 勲三等旭日中綬章 勲四等瑞宝章 功三級金鵄勲章 大清帝国二等第二双龍宝星 プロイセン王国二等赤鷲勲章 スウェーデン王国二等レペー勲章 バーデン大公国二等ツェーリンゲン獅子勲章[1] |
大正4年4月24日 | 勲二等瑞宝章 |
大正4年11月7日 | 旭日重光章 賜金2900円 大正三四年従軍記章[3] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[4] |
大正5年9月11日 | 叙従四位 |
大正7年10月10日 | 叙正四位 |
大正8年12月15日 | 戦捷記章[5] |
大正9年11月1日 | 賜金1200円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[6] |
大正11年6月27日 | 勲一等瑞宝章[7] |
大正12年時点 | フランス共和国一等黒星勲章 ルーマニア王国一等王冠勲章[2] |
大正14年6月24日 | 叙正三位 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[8] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第5975号 明治36年6月4日(木曜日)
- 官報第2504号 昭和10年5月11日(土曜日)