山下奉文
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- やました ともゆき
- 山下奉文
- 陸軍大将従三位勲一等功三級
- 歩兵
- 士候18 陸大28優等
- 高知県
- 明治18年11月8日 - 昭和21年2月23日法務死
経歴
明治18年11月8日 | 生 |
明治38年11月25日 | 陸軍士官学校卒業(士候18) |
明治39年6月26日 | 任陸軍歩兵少尉 |
大正2年12月13日 | 陸軍大学校入学 |
大正5年11月25日 | 陸軍大学校卒業(第28期優等) |
大正11年7月22日 | 陸軍省軍務局軍事課編制班長 |
大正15年3月16日 | 陸軍大学校教官 |
昭和2年2月22日 | オーストリア公使館附武官兼ハンガリー公使館附武官 |
昭和4年8月1日 | 陸軍歩兵大佐・軍事調査部(軍政調査会幹事) |
昭和5年8月1日 | 歩兵第3聯隊長 |
昭和7年4月11日 | 陸軍省軍務局軍事課長 |
昭和9年8月1日 | 陸軍少将・陸軍兵器本廠附 |
昭和10年3月15日 | 軍事調査部長 |
昭和11年3月23日 | 歩兵第40旅団長 |
昭和12年8月26日 | 支那駐屯混成旅団長 |
昭和12年11月1日 | 陸軍中将 |
昭和13年7月15日 | 北支那方面軍参謀長 |
昭和14年9月23日 | 第4師団長(親補) |
昭和15年7月22日 | 陸軍航空総監(親補)兼陸軍航空本部長 |
昭和15年12月10日 | 遣独視察団長 |
昭和16年6月9日 | 軍事参議官(親補) |
昭和16年7月17日 | 関東防衛軍司令官(親補) |
昭和16年11月6日 | 第25軍司令官(親補) |
昭和17年7月1日 | 第1方面軍司令官(親補) |
昭和18年2月10日 | 陸軍大将 |
昭和19年9月26日 | 補第14方面軍司令官(親補) |
昭和21年2月23日 | マニラで法務死 |
栄典
昭和9年2月7日 | 勲三等瑞宝章[1] |
昭和9年9月15日 | 叙正五位[2] |
昭和14年12月15日 | 叙正四位 |
昭和15年4月29日 | 勲一等旭日大綬章 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[3] |
昭和16年8月9日 | 勲一等瑞宝章 |
昭和17年12月28日 | 叙従三位 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第199号 昭和19年9月27日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120921300