山内二男麿
ナビゲーションに移動
検索に移動
- やまうち かずおまろ
- 山内二男麿
- 陸軍少将従四位勲三等功四級
- 歩兵
- 士候12
- 明治12年1月1日 - 昭和20年8月6日原爆死
経歴
明治12年1月1日 | 生[1] |
明治32年12月1日 | 陸軍士官学校入校 |
明治33年11月21日 | 陸軍士官学校卒業(士候12) |
明治33年11月26日 | 見習士官ヲ命ス |
明治34年6月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
大正6年8月6日 | 任陸軍歩兵少佐[2] |
大正11年8月15日 | 任陸軍歩兵中佐[2] |
大正14年時点 | 歩兵第73聯隊附 |
大正15年3月2日 | 任陸軍歩兵大佐[2][1]・名古屋聯隊区司令官[3] |
昭和3年8月10日 | 補歩兵第50聯隊長[3][2] |
昭和5年8月1日 | 待命被仰付[4] |
昭和5年8月29日 | 予備役[1] |
昭和9年4月1日 | 後備役[5] |
昭和20年8月6日 | 戦死(原爆)・任陸軍少将 |
栄典
明治34年10月10日 | 叙正八位[6] |
明治37年2月19日 | 叙従七位[7] |
明治38年8月11日 | 叙正七位[8] |
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲六等単光旭日章 明治三十七八年従軍記章 |
明治43年9月30日 | 叙従六位[9] |
大正4年10月30日 | 叙正六位[10] |
大正4年11月7日 | 賜金200円 大正三四年従軍記章[11] |
大正8年3月29日 | 勲四等瑞宝章[12] |
大正9年11月1日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 旭日小綬章 大正三年乃至九年戦役従軍記章[13][2] |
大正9年11月30日 | 叙従五位[14] |
大正13年4月30日 | 勲三等瑞宝章[15] |
大正14年12月28日 | 叙正五位[16] |
昭和5年9月26日 | 叙従四位(特旨)[17][1] |
昭和9年4月29日 | 昭和六年乃至九年事変従軍記章[18] |
昭和15年11月10日 | 紀元二千六百年祝典記念章 |
出典
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和6年4月1日調
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和3年9月1日調
- ↑ 3.0 3.1 官報第488号 昭和3年8月11日(土曜日)
- ↑ 官報第1078号 昭和5年8月2日(土曜日)
- ↑ 陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和9年4月1日調
- ↑ 官報第5484号 明治34年10月11日(金曜日)
- ↑ 官報第6188号 明治37年2月20日(土曜日)
- ↑ 官報第6640号 明治38年8月17日(木曜日)
- ↑ 官報第8185号 明治43年10月1日(土曜日)
- ↑ 官報第976号 大正4年11月1日(月曜日)
- ↑ 官報第1189号 大正5年7月18日(火曜日)
- ↑ 官報第1995号 大正8年3月31日(月曜日)
- ↑ 官報第2622号 大正10年4月30日(土曜日)
- ↑ 官報第2500号 大正9年12月1日(水曜日)
- ↑ 官報第3505号 大正13年5月2日(金曜日)
- ↑ 官報第4046号 大正15年2月22日(月曜日)
- ↑ 官報第1138号 昭和5年10月13日(月曜日)
- ↑ 官報第2995号 昭和11年12月24日(木曜日)