猪狩亮介
ナビゲーションに移動
検索に移動
- いかり りょうすけ
- 猪狩亮介
- 陸軍中将正四位勲二等功四級
- 砲兵
- 士候12 砲工高12 陸大23
- 宮崎県
- 明治14年1月5日 -
経歴
明治14年1月5日 | 生 |
明治32年12月1日 | 陸軍士官学校入校 |
明治33年11月21日 | 陸軍士官学校卒業(士候12) |
明治33年11月26日 | 見習士官ヲ命ス |
明治34年6月25日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治39年12月21日 | 陸軍砲工学校高等科卒業(第12期) |
明治41年12月25日 | 陸軍大学校入学 |
明治44年11月29日 | 陸軍大学校卒業(第23期) |
野砲兵第24聯隊附 | |
大正4年8月10日 | 補野砲兵第24聯隊大隊長 |
大正5年8月18日 | 補陸軍砲工学校教官 参謀ト心得ヘシ |
大正7年12月1日 | 任陸軍砲兵中佐 |
大正8年2月20日 | 補第5師団参謀 |
大正10年3月26日 | 陸軍運輸部本部附被仰付 |
大正11年8月15日 | 任陸軍砲兵大佐 |
大正12年8月6日 | 野戦重砲兵第8聯隊長 |
大正13年10月14日 | 砲兵監部部員 |
大正15年3月2日 | 近衛師団参謀長 |
昭和2年7月26日 | 陸軍少将・基隆要塞司令官 |
昭和3年3月8日 | 砲兵監部附 |
昭和4年8月1日 | 野戦重砲兵第4旅団長 |
昭和5年8月1日 | 第5師団司令部附 |
昭和7年4月11日 | 陸軍中将・待命 |
昭和7年4月26日 | 予備役被仰付[1][2] |
栄典
明治34年10月10日 | 叙正八位[3] |
明治37年2月19日 | 叙従七位[4] |
明治38年8月11日 | 叙正七位[5] |
功五級金鵄勲章 勲四等瑞宝章 | |
明治43年9月30日 | 叙従六位[6] |
大正4年10月30日 | 叙正六位[7] |
大正4年11月7日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 旭日小綬章 大正三四年従軍記章[8] |
勲二等瑞宝章 | |
大正9年11月30日 | 叙従五位[9] |
大正14年12月28日 | 叙正五位[10] |
昭和6年1月16日 | 叙従四位[11] |
昭和7年5月24日 | 叙正四位(特旨)[12] |
昭和9年4月29日 | 旭日重光章、昭和六年乃至九年事変従軍記章[13] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[14] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第908号 大正4年8月11日(水曜日)
- 官報第1217号 大正5年8月19日(土曜日)
- 官報第1900号 大正7年12月3日(火曜日)
- 官報第1964号 大正8年2月21日(金曜日)
- 官報第2593号 大正10年3月28日(月曜日)
- ↑ 官報第1596号 昭和7年4月28日(木曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に昭和7年4月28日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第5484号 明治34年10月11日(金曜日)
- ↑ 官報第6188号 明治37年2月20日(土曜日)
- ↑ 官報第6640号 明治38年8月17日(木曜日)
- ↑ 官報第8185号 明治43年10月1日(土曜日)
- ↑ 官報第976号 大正4年11月1日(月曜日)
- ↑ 官報第1068号 大正5年2月25日(金曜日)
- ↑ 官報第2500号 大正9年12月1日(水曜日)
- ↑ 官報第4046号 大正15年2月22日(月曜日)
- ↑ 官報第1225号 昭和6年1月31日(土曜日)
- ↑ 官報第1624号 昭和7年6月1日(水曜日)
- ↑ 官報第2602号 昭和10年9月3日(火曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)