市川堅太郎
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- いちかわ けんたろう
- 市川堅太郎
- 陸軍中将従三位勲二等功三級
- 歩兵
- 士候1 陸大14
- 石川県
- 明治3年8月15日 - 大正14年2月4日
経歴
明治3年8月15日 | 生 |
明治23年7月26日 | 陸軍士官学校卒業(士候1) |
明治24年3月26日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治30年12月28日 | 陸軍大学校入学 |
明治33年12月20日 | 陸軍大学校卒業(第14期) |
明治41年12月21日 | 第2師団参謀長 |
明治42年1月28日 | 陸軍歩兵大佐 |
大正1年11月30日 | 歩兵第9聯隊長 |
大正3年11月30日 | 陸軍少将・歩兵第7旅団長 |
大正5年4月1日 | 歩兵第39旅団長 |
大正6年8月6日 | 朝鮮駐箚軍参謀長 |
大正7年5月31日 | 朝鮮軍参謀長 |
大正7年11月1日 | 陸軍中将・由良要塞司令官 |
大正8年11月25日 | 第15師団長 |
大正11年8月15日 | 待命 |
大正12年3月23日 | 予備役 |
大正14年2月4日 | 死去 |
栄典
明治25年2月3日 | 叙正八位 |
明治27年5月30日 | 叙従七位 |
明治35年11月29日 | 勲五等瑞宝章 |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章 勲四等旭日小綬章 明治三十七八年従軍記章 |
明治42年4月20日 | 叙従五位 |
明治43年8月28日 | 大韓帝国勲二等八卦章佩用允許[1] |
明治44年6月13日 | 勲三等旭日中綬章[2] |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章 |
大正8年3月29日 | 勲二等瑞宝章[3] |
大正9年11月1日 | 旭日重光章 賜金2300円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[4] |
大正10年1月10日 | 叙正四位 |
大正10年7月1日 | 第一回国勢調査記念章[5] |
大正12年4月20日 | 叙従三位(特旨)[6] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)