平松銀十郎
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- ひらまつ ぎんじゅうろう
- 平松銀十郎
- 陸軍少将従四位勲三等功五級
- 砲兵
- 士候15 砲工高15 陸大27
- 愛知県
- 明治15年4月2日 - 昭和12年12月
経歴
明治15年4月2日 | 生 |
明治36年11月30日 | 陸軍士官学校卒業(士候15) |
明治37年3月18日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治38年6月30日 | 任陸軍砲兵中尉 |
明治42年11月26日 | 陸軍砲工学校高等科卒業(第15期) |
大正1年12月13日 | 陸軍大学校入学 |
大正2年8月31日 | 任陸軍砲兵大尉 |
大正4年12月11日 | 陸軍大学校卒業(第27期) |
大正8年4月15日 | 任陸軍砲兵少佐 |
由良要塞参謀 | |
大正12年8月6日 | 任陸軍砲兵中佐 補野砲兵第5聯隊附 |
大正15年7月28日 | 任陸軍砲兵大佐 補第12師団司令部附 九州帝国大学服務ヲ命ス |
昭和4年8月1日 | 野戦重砲兵第6聯隊長 |
昭和7年4月11日 | 陸軍少将・待命 |
昭和7年4月26日 | 予備役被仰付[1][2] |
昭和12年12月 | 死去 |
栄典
明治37年5月17日 | 叙正八位 |
明治38年8月18日 | 叙従七位 |
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章 勲六等単光旭日章 明治三十七八年従軍記章[3] |
明治43年9月30日 | 叙正七位 |
大正3年5月16日 | 勲五等瑞宝章 |
大正4年10月30日 | 叙従六位 |
大正8年10月25日 | 勲四等瑞宝章 |
大正9年11月1日 | 戦捷記章 |
大正9年11月30日 | 叙正六位 |
大正14年12月28日 | 叙従五位 |
昭和2年10月13日 | 勲三等瑞宝章 |
昭和6年2月2日 | 叙正五位 |
昭和7年5月24日 | 叙従四位(特旨) |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和5年9月1日調
- 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和9年4月1日調
- 官報第6267号 明治37年5月24日(火曜日)
- 官報第6648号 明治38年8月26日(土曜日)
- 官報第8185号 明治43年10月1日(土曜日)
- 官報第539号 大正3年5月18日(月曜日)
- 官報第976号 大正4年11月1日(月曜日)
- 官報第2169号 大正8年10月27日(月曜日)
- 官報第2500号 大正9年12月1日(水曜日)
- 官報第2996号 大正11年7月27日(木曜日)
- 官報第3306号 大正12年8月7日(火曜日)
- 官報第4047号 大正15年2月23日(火曜日)
- 官報第4180号 大正15年7月29日(木曜日)
- 官報第240号 昭和2年10月14日(金曜日)
- 官報第1233号 昭和6年2月10日(火曜日)
- 官報第1624号 昭和7年6月1日(水曜日)
- ↑ 官報第1596号 昭和7年4月28日(木曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に昭和7年4月28日とあるのは誤り。
- ↑ 官報号外 明治39年12月11日(火曜日)