廣野太吉
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- ひろの たきち
- 廣野太吉
- 陸軍中将功三級
- 砲兵
- 士候18 陸大27
- 東京都
- 明治20年1月4日 - 昭和18年4月26日
経歴
明治20年1月4日 | 生 |
明治38年11月25日 | 陸軍士官学校卒業(士候18) |
明治39年6月26日 | 任陸軍砲兵少尉 |
大正1年12月13日 | 陸軍大学校入学 |
大正4年12月11日 | 陸軍大学校卒業(第27期) |
大正15年3月2日 | 任陸軍砲兵中佐・陸軍野戦砲兵学校教官兼同校研究部部員 |
昭和5年8月1日 | 任陸軍砲兵大佐 補陸軍野戦砲兵学校研究部主事兼同校教官陸軍技術本部部員 |
昭和6年8月1日 | 補陸軍野戦砲兵学校教官兼同校研究部部員 |
昭和6年12月3日 | 補野砲兵第8聯隊長 |
昭和8年1月31日 | 砲兵監部部員 |
昭和8年10月16日 | 第1師団参謀長 |
昭和10年3月15日 | 陸軍少将・陸軍重砲兵学校幹事 |
昭和10年12月2日 | 野戦重砲兵第1旅団長 |
昭和11年8月1日 | 津軽要塞司令官 |
昭和12年8月14日 | 陸軍野戦砲兵学校長 |
昭和13年3月1日 | 陸軍中将 |
昭和13年7月15日 | 第17師団長 |
昭和15年8月1日 | 参謀本部附 |
昭和15年9月28日 | 待命 |
昭和15年9月30日 | 予備役 |
昭和18年4月26日 | 死去 |
栄典
明治42年7月10日 | 叙従七位[1] |
大正3年7月31日 | 叙正七位[2] |
昭和13年10月13日 | 勲二等瑞宝章 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[3] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第1078号 昭和5年8月2日(土曜日)
- 官報第1378号 昭和6年8月3日(月曜日)
- 官報. 1931年12月04日
- 官報第3554号 昭和13年11月8日(火曜日)