建川美次
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- たてかわ よしつぐ
- 建川美次
- 陸軍中将従三位勲一等功四級
- 騎兵
- 士候13 陸大21優等
- 新潟県
- 明治13年10月3日 - 昭和20年9月9日
経歴
明治13年10月3日 | 生 |
明治34年11月22日 | 陸軍士官学校卒業(士候13) |
明治35年6月23日 | 任陸軍騎兵少尉 |
明治39年11月22日 | 陸軍大学校入学 |
明治42年12月3日 | 陸軍大学校卒業(第21期優等) |
大正5年5月2日 | 任陸軍騎兵少佐[1] |
大正8年7月25日 | 任陸軍騎兵中佐[1] |
大正9年7月16日 | 参謀本部附 |
大正9年9月13日 | 国聯陸軍代表随員[2] |
大正11年12月1日 | 騎兵第1聯隊附 |
大正12年3月17日 | 騎兵第5聯隊長 |
大正12年8月6日 | 任陸軍騎兵大佐[1] |
大正13年12月15日 | 参謀本部欧米課長 |
昭和3年3月8日 | 任陸軍少将[3]・支那公使館附武官 |
昭和4年8月1日 | 参謀本部第2部長 |
昭和6年8月1日 | 参謀本部第1部長 |
昭和7年2月4日 | 参謀本部附(ジュネーヴ軍縮会議陸軍代表) |
昭和7年8月8日 | 任陸軍中将[3] |
昭和8年3月18日 | 第10師団留守司令官 |
昭和9年6月28日 | 第10師団長 |
昭和10年12月2日 | 第4師団長 |
昭和11年8月1日 | 依願予備役被仰付[4] |
昭和15年9月14日 | 任特命全権大使 「ソヴィエト」聯邦駐箚被仰付[5] |
昭和17年6月25日 | 依願免本官(特命全権大使)[6] |
昭和20年9月9日 | 薨去 |
栄典
功四級金鵄勲章 | |
大正10年11月15日 | スペイン王国白色二等陸軍武功勲章 |
大正11年4月 | 大英帝国勲章コマンダー[7] |
昭和3年時点 | 正五位 勲三等旭日中綬章 勲四等瑞宝章 イギリス帝国サーヴィス勲章[1] |
昭和4年4月23日 | フランス共和国レジオンドヌール勲章コマンドゥール佩用允許[8] |
勲二等瑞宝章 | |
昭和9年4月29日 | 勲一等旭日大綬章 |
昭和9年9月15日 | 叙正四位[9] |
昭和11年8月20日 | 叙従三位(特旨)[10] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和3年9月1日調
- ↑ 官報第2436号 大正9年9月14日(火曜日)
- ↑ 3.0 3.1 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和10年9月1日調
- ↑ 官報第2876号 昭和11年8月3日(月曜日)
- ↑ 官報第4110号 昭和15年9月16日(月曜日)
- ↑ 官報第4637号 昭和17年6月26日(金曜日)
- ↑ 昭和3年停年名簿・昭和10年停年名簿では「英ヴ三」となっているが、「英ヴ」はヴィクトリア勲章の略で、「海軍中将斎藤半六外十名外国勲章受領及佩用ノ件」に記載のある「コマンダー・ブリティッシュ・エンパイア勲章」を誤って記載か
- ↑ 官報第694号 昭和4年4月25日(木曜日)
- ↑ 官報第2318号 昭和9年9月20日(木曜日)
- ↑ 官報第2892号 昭和11年8月21日(金曜日)