掛札秀之介
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- かけふだ ひでのすけ
- 掛札秀之介[1]
- 陸軍少将従四位勲三等功五級
- 砲兵
- 士候8 砲工高8
- 茨城県
- 明治10年7月12日 -
経歴
明治10年7月12日 | 生[2] |
明治29年11月26日 | 陸軍士官学校卒業(士候8) |
明治30年6月28日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治33年12月26日 | 陸軍砲工学校高等科卒業(第8期) |
明治40年11月13日 | 任陸軍砲兵少佐 |
東京砲兵工廠廠員 | |
明治45年9月16日 | 補名古屋陸軍兵器支廠廠員[3] |
名古屋陸軍兵器支廠長 | |
大正4年2月15日 | 補東京陸軍兵器支廠長[4] |
大正4年8月10日 | 任陸軍砲兵中佐 補陸軍兵器本廠廠員[5] |
大正8年4月15日 | 陸軍砲兵大佐・陸軍航空部補給部長 |
大正11年2月8日 | 野砲兵第2聯隊長 |
大正12年8月6日 | 任陸軍少将[6]・待命 |
大正12年9月1日 | 予備役[6] |
昭和11年4月1日 | 後備役[7] |
栄典
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲五等双光旭日章 明治三十七八年従軍記章[8] |
大正9年8月30日 | 勲三等瑞宝章[9] |
勲三等旭日中綬章[6] | |
大正12年10月30日 | 叙従四位(特旨)[10] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[11] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に”秀之助”とあるのは誤り。
- ↑ 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和9年4月1日調
- ↑ 官報. 1912年09月17日
- ↑ 官報第760号 大正4年2月16日(火曜日)
- ↑ 官報第908号 大正4年8月11日(水曜日)
- ↑ 6.0 6.1 6.2 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 大正15年4月1日調
- ↑ 官報第2777号 昭和11年4月08日(水曜日)
- ↑ 官報第7036号 明治39年12月11日(火曜日)
- ↑ 官報第2426号 大正9年9月2日(木曜日)
- ↑ 官報第3358号 大正12年11月1日(木曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)