日疋信亮
ナビゲーションに移動
検索に移動
- ひびき のぶすけ
- 日疋信亮
- 陸軍主計少将従四位勲三等功四級
- 経理部
- 士官生徒5
- 和歌山県
- 安政4年12月1日 - 昭和15年11月22日
経歴
安政4年12月1日 | 生 |
明治15年12月25日 | 陸軍士官学校卒業・陸軍歩兵少尉試補 |
明治16年8月30日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治20年4月27日 | 任陸軍歩兵中尉[1] |
明治23年7月4日 | 賜一等給[1] |
明治27年時点 | 歩兵第11聯隊附[1] |
明治32年10月28日 | 任陸軍三等監督 |
明治36年11月30日 | 任陸軍二等監督 補第1師団経理部部員[3] |
明治36年12月1日 | 陸軍二等主計正(階級呼称変更) |
明治37年7月5日 | 第4軍兵站経理部長 |
明治39年2月27日 | 第6師団経理部長 |
明治39年12月26日 | 任陸軍一等主計正 |
明治43年5月11日 | 補第1師団経理部長[4][5][6][7] |
明治44年6月15日 | 任陸軍主計監 |
大正3年5月11日 | 待命被仰付[6][7] |
大正3年7月17日 | 予備役 |
昭和12年2月25日 | 陸軍主計少将(階級呼称変更) |
昭和15年11月22日 | 卒去 |
栄典
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治29年6月10日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲六等瑞宝章 |
明治32年12月20日 | 叙従六位 |
明治37年2月29日 | 叙正六位 |
明治38年11月30日 | 勲四等瑞宝章 |
功四級金鵄勲章 勲三等旭日中綬章[8] | |
明治40年2月20日 | 叙従五位 |
明治43年8月28日 | 大韓帝国勲二等八卦章佩用允許 |
明治44年9月11日 | 叙正五位 |
大正3年10月20日 | 叙従四位(特旨)[9] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[10] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報号外 明治29年6月25日(木曜日)
- 官報第4024号 明治29年11月26日(木曜日)
- 官報第4943号 明治32年12月21日(木曜日)
- 官報第6196号 明治37年3月1日(火曜日)
- 官報第6728号 明治38年12月2日(土曜日)
- 官報第7091号 明治40年2月21日(木曜日)
- 官報第8231号 明治43年11月28日(月曜日)
- 官報第8469号 明治44年9月12日(火曜日)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治27年7月1日調
- ↑ 明治27年実役停年名簿では「日匹」、明治43年以降の官報は「日疋」が多い。[1]
- ↑ 官報第6125号 明治36年12月1日(火曜日)
- ↑ 官報第8064号 明治43年5月12日(木曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に明治42年8月10日とあるのは明治43年5月11日の誤り。
- ↑ 6.0 6.1 官報第534号 大正3年5月12日(火曜日)
- ↑ 7.0 7.1 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に朝鮮駐箚軍経理部長とあるのは誤り。
- ↑ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治45年7月1日調
- ↑ 官報第667号 大正3年10月21日(水曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)