明石元二郎
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- あかし もとじろう
- 明石元二郎
- 陸軍大将正三位勲一等功三級男爵
- 歩兵
- 士官生徒6 陸大5
- 福岡県
- 元治1年8月1日 - 大正8年10月26日
経歴
元治1年8月1日 | 生 |
明治16年12月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治20年1月31日 | 陸軍大学校入学 |
明治22年12月9日 | 陸軍大学校卒業(第5期) |
明治34年1月15日 | 仏国公使館附 |
明治35年8月15日 | 露国公使館附 |
明治36年11月18日 | 陸軍歩兵大佐 |
明治37年2月6日 | 参謀本部附(欧洲駐在) |
明治39年2月3日 | 独逸国大使館附 |
明治39年12月27日 | 補歩兵第7聯隊長[1] |
明治40年10月4日 | 任陸軍少将 補第14憲兵隊長[2] |
明治40年10月9日 | 韓国駐箚憲兵隊長(改称) |
明治41年12月21日 | 韓国駐箚軍参謀長兼韓国駐箚憲兵隊長 |
明治42年8月1日 | 免兼職 |
明治43年6月15日 | 韓国駐箚憲兵隊司令官 |
明治43年10月1日 | 朝鮮駐箚憲兵隊司令官(改称) 兼朝鮮総督府警務部長 |
大正1年12月26日 | 陸軍中将 |
大正3年4月17日 | 参謀次長 |
大正4年10月4日 | 第6師団長 |
大正7年6月6日 | 台湾総督 |
大正7年7月2日 | 陸軍大将 |
大正8年8月20日 | 兼台湾軍司令官 |
大正8年10月26日 | 薨去 |
栄典
明治17年2月9日 | 叙正八位 |
明治22年7月15日 | 叙従七位 |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[3] |
明治25年1月12日 | 叙正七位 |
明治28年12月14日 | 功四級金鵄勲章 勲六等瑞宝章 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治29年4月20日 | 叙従六位 |
明治33年4月17日 | スペイン王国二等陸軍武功勲章佩用允許 |
明治34年3月11日 | 叙正六位 |
明治37年2月19日 | 叙従五位 |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章 明治三十七八年従軍記章 |
明治40年12月10日 | 叙正五位 |
明治41年12月1日 | 勲二等瑞宝章 |
明治42年4月18日 | 皇太子渡韓記念章 |
明治43年8月28日 | 大韓帝国勲一等太極章佩用允許[4] |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章 |
大正1年12月28日 | 叙従四位 |
大正4年3月23日 | フランス共和国レジオンドヌール勲章コマンドール佩用允許 |
大正4年10月20日 | 叙正四位 |
大正4年11月1日 | 勲一等瑞宝章[5] |
大正4年11月7日 | 旭日大綬章 賜金3500円 大正三四年従軍記章[6] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[7] |
大正7年7月31日 | 叙従三位[8] |
大正8年10月24日 | 授男爵(勲功) 叙正三位(特旨)[9] |
大正8年10月26日 | 薨去 戦捷記章[10] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第7771号 明治42年5月24日(月曜日)
- 官報第791号 大正4年3月25日(木曜日)
- 官報第967号 大正4年10月21日(木曜日)