星野金吾
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- ほしの きんご
- 星野金吾
- 陸軍中将従三位勲一等功三級
- 砲兵
- 士官生徒5 陸大6優等
- 新潟県
- 文久3年11月20日 - 昭和8年5月29日
経歴
文久3年11月20日 | 生 |
明治15年12月25日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治20年11月20日 | 陸軍大学校入学 |
明治23年12月23日 | 陸軍大学校卒業(第6期優等) |
明治34年2月9日 | 第1師団参謀長 |
明治35年12月19日 | 陸軍砲兵大佐 |
明治40年11月13日 | 任陸軍少将 補関東都督府陸軍参謀長 |
大正1年9月28日 | 参謀本部附 |
大正2年8月22日 | 任陸軍中将[1] 補野戦砲兵監 |
大正5年8月18日 | 第17師団長 |
大正7年7月24日 | 待命 |
大正8年4月1日 | 予備役 |
大正15年4月1日 | 後備役[2] |
昭和5年4月1日 | 退役[3] |
昭和8年5月29日 | 薨去 |
栄典
明治19年11月27日 | 叙従七位 |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[4] |
明治25年1月12日 | 叙正七位 |
明治28年4月15日 | 叙従六位 |
明治28年5月23日 | 勲六等瑞宝章 |
明治28年10月18日 | 単光旭日章 功四級金鵄勲章 |
明治32年12月20日 | 叙正六位 |
明治33年11月30日 | 勲五等瑞宝章[5] |
明治36年3月30日 | 叙従五位 |
明治37年11月29日 | 勲四等瑞宝章 |
明治38年1月13日 | 大清帝国二等第三双龍宝星 |
明治40年12月27日 | 叙正五位 |
明治44年5月26日 | 勲二等瑞宝章[6] |
明治45年時点 | 功三級金鵄勲章 勲三等旭日中綬章 大清帝国二等第一双龍宝星 ロシア帝国聖スタニスラス第一等勲章[7] |
大正2年1月30日 | 叙従四位 |
大正4年11月7日 | 賜金600円 大正三四年従軍記章[8] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[9] |
大正5年9月11日 | 叙正四位 |
大正5年10月28日 | 勲一等瑞宝章 |
大正15年時点 | 従三位[2] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第7315号 明治40年11月14日(木曜日)
- 官報第321号 大正2年8月23日(土曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に大正2年8月25日とあるのは誤り。
- ↑ 2.0 2.1 陸軍後備役将校同相当官服役停年名簿. 大正15年4月1日調
- ↑ 官報第988号 昭和5年4月18日(金曜日)
- ↑ 官報号外 明治22年12月29日(日曜日)
- ↑ 官報第5226号 明治33年12月1日(土曜日)
- ↑ 官報第8378号 明治44年5月29日(月曜日)
- ↑ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治45年7月1日調
- ↑ 官報第1194号 大正5年7月24日(月曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)