曾我祐準
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- そが すけのり
- 曾我祐準
- 陸軍中将正二位勲一等子爵
- 福岡県
- 天保14年12月25日 - 昭和10年11月30日
経歴
天保14年12月25日 | 生 |
明治4年9月13日 | 陸軍大佐 |
明治5年4月14日 | 兵学寮権頭 |
明治6年2月2日 | 陸軍少将・教導団司令長官心得 |
明治6年5月18日 | 兵学頭 |
明治7年10月30日 | 陸軍士官学校長 |
明治10年2月24日 | 兼東京鎮台司令長官 |
明治10年4月16日 | 別働第4旅団司令長官 |
明治10年10月11日 | 凱旋 |
明治11年8月26日 | 西部検閲使 |
明治11年12月14日 | 熊本鎮台司令官 |
明治13年4月29日 | 大阪鎮台司令官 |
明治14年4月29日 | 中部監軍部長心得 |
明治15年2月6日 | 参謀本部次長 |
明治16年2月1日 | 陸軍中将 |
明治18年5月21日 | 補仙台鎮台司令官[1] |
明治19年3月16日 | 参謀本部次長 |
明治19年7月26日 | 陸軍士官学校長 |
明治19年9月7日 | 休職 |
明治21年4月5日 | 明宮御養育主任 |
明治21年12月25日 | 予備役 |
明治22年11月3日 | 任東宮大夫 叙勅任官一等三級俸下賜[2] |
明治24年6月13日 | 任宮中顧問官 叙勅任官一等三級俸下賜 皇太子殿下御教養主任ヲ免ス[3] |
明治24年12月5日 | 貴族院議員 |
明治38年10月16日 | 後備役 |
明治43年4月1日 | 退役 |
大正4年4月27日 | 枢密顧問官 |
大正12年12月28日 | 辞 |
昭和10年11月30日 | 薨去 |
栄典
明治17年7月7日 | 依勲功特授子爵[4] |
明治19年10月20日 | 叙従三位[5][6] |
明治22年11月3日 | 勲一等瑞宝章[2] |
明治27年6月30日 | 叙正三位 |
明治39年4月1日 | 授旭日大綬章 (明治三十七八年事件ノ功)[7] |
明治41年12月26日 | 叙従二位 |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[8] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[9] |
大正4年12月1日 | 叙正二位(特旨)[10] |
大正5年4月1日 | 金杯一組ヲ賜フ[11] |
大正9年9月7日 | 金杯一組 (対独平和条約締結並ニ大正四年乃至九年事件ノ功)[12] |
大正12年12月27日 | 授旭日桐花大綬章 |
昭和6年3月20日 | 帝都復興記念章 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第3301号 明治27年7月2日(月曜日)
- 官報第6916号 明治39年7月19日(木曜日)
- 官報第8035号 明治43年4月8日(金曜日)
- 曾我祐準 - Wikipedia
- ↑ 官報第565号 明治18年5月22日(金曜日)
- ↑ 2.0 2.1 官報第1907号 明治22年11月5日(火曜日)
- ↑ 官報第2386号 明治24年6月15日(月曜日)
- ↑ 官報第307号 明治17年7月8日(火曜日)
- ↑ 官報第994号 明治19年10月21日(木曜日)
- ↑ 従四位から従三位に昇叙。
- ↑ 官報第7272号 明治40年9月23日(月曜日)
- ↑ 官報第205号 大正2年4月9日(水曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)
- ↑ 官報第1001号 大正4年12月2日(木曜日)
- ↑ 官報第1218号 大正5年8月21日(月曜日)
- ↑ 官報第2431号 大正9年9月8日(水曜日)