有川鷹一
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- ありかわ たかいち
- 有川鷹一
- 陸軍中将正四位勲二等功四級
- 工兵
- 士候6 砲工高6優等
- 山口県
- 明治6年4月21日 - 昭和30年1月31日
経歴
明治6年4月21日 | 生 |
明治28年2月1日 | 陸軍士官学校卒業(士候6) |
明治28年5月22日 | 任陸軍工兵少尉 |
明治31年12月22日 | 陸軍砲工学校高等科卒業(第6期優等) |
明治39年1月29日 | 陸軍大学校教官 |
明治43年11月30日 | 任陸軍工兵中佐 |
大正3年5月11日 | 気球隊長 |
大正3年8月17日 | 青島派遣航空隊長 |
大正4年5月25日 | 陸軍工兵大佐 |
大正4年12月10日 | 補航空大隊長兼陸軍技術審査部議員 |
大正5年5月2日 | 補交通兵団司令部附(兼職如故) 所沢ニ在テ服務スヘシ |
大正8年4月15日 | 任陸軍少将 補陸軍航空学校長 陸軍技術会議議員被仰付 |
大正12年8月6日 | 陸軍中将・待命 |
大正12年9月1日 | 予備役 |
昭和15年4月 | 退役 |
昭和30年1月31日 | 卒去 |
栄典
明治28年11月15日 | 叙正八位 |
明治30年12月15日 | 叙従七位 |
明治34年2月28日 | 叙正七位 |
明治38年4月7日 | 叙従六位 |
明治39年4月1日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 勲四等旭日小綬章 明治三十七八年従軍記章 |
明治43年5月21日 | 叙正六位[1] |
大正8年12月15日 | 戦捷記章[2] |
大正9年11月1日 | 勲二等瑞宝章 賜金1200円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[3] |
大正12年8月6日 | 叙従四位[4] |
大正12年10月30日 | 叙正四位(特旨)[5] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[6] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報号外 明治39年12月6日(木曜日)
- 官報第1009号 大正4年12月11日(土曜日)
- 官報第1124号 大正5年5月3日(水曜日)
- 官報第2008号 大正8年4月16日(水曜日)