本庄道三
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- ほんじょう みちぞう
- 本庄道三
- 陸軍少将従四位勲三等
- 砲兵
- 士官生徒2
- 徳島県
- 安政5年2月10日 - 昭和14年
経歴
安政5年2月10日 | 生[1] |
明治8年 | 陸軍士官学校入校 |
明治12年2月1日 | 任陸軍少尉 |
明治35年11月15日 | 陸軍砲兵大佐・陸軍砲工学校教官 |
明治36年5月1日 | 陸軍火薬研究所長 |
明治40年11月13日 | 任陸軍少将[2]・澎湖島要塞司令官 |
明治41年12月21日 | 予備役[2] |
大正6年4月1日 | 後備役[3] |
大正10年4月1日 | 退役[4] |
昭和14年 | 死去 |
栄典
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[5] |
明治39年4月1日 | 賜金300円 明治三十七八年従軍記章[6] |
明治45年時点 | 従四位 勲三等瑞宝章[2][7] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 本庄道三 (第4版) - 『人事興信録』データベース
- ↑ 2.0 2.1 2.2 陸軍予備役後備役将校同相当官服役停年名簿. 明治45年7月1日調
- ↑ 官報第1401号 大正6年4月6日(金曜日)
- ↑ 官報第2607号 大正10年4月13日(水曜日)
- ↑ 官報第1948号 明治22年12月24日(火曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月11日(火曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に「功四」とあるが、明治45年予備役停年名簿には記載がなく、大正4年版人事興信録にも功四級の記載はない。