李王垠
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- りおう ぎん
- 李王垠
- 陸軍中将大勲位功三級
- 歩兵
- 士候29 陸大35
- 朝鮮
- 明治30年10月20日 - 昭和45年5月1日
経歴
明治30年10月20日 | 生 |
大正6年5月25日 | 陸軍士官学校卒業(士候29) |
大正6年12月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
大正9年12月7日 | 陸軍大学校入学 |
大正12年11月29日 | 陸軍大学校卒業(第35期) |
昭和10年8月1日 | 陸軍歩兵大佐・歩兵第59聯隊長 |
昭和12年3月1日 | 陸軍士官学校教官 |
昭和12年8月2日 | 陸軍予科士官学校教授部長 |
昭和13年7月15日 | 任陸軍少将[1] |
昭和13年12月15日 | 北支那方面軍司令部附 |
昭和14年8月1日 | 近衛歩兵第2旅団長 |
昭和15年5月25日 | 留守第4師団長 |
昭和15年12月2日 | 陸軍中将 |
昭和16年7月1日 | 第51師団長 |
昭和16年11月16日 | 教育総監部附 |
昭和17年8月1日 | 第1航空軍司令部附 |
昭和18年7月20日 | 第1航空軍司令官 |
昭和20年4月1日 | 軍事参議官 |
昭和45年5月1日 | 薨去 |
栄典
明治40年5月28日 (隆熙1年) |
大韓帝国大勲位李花大綬章 |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[2] |
大正9年4月27日 | 大勲位菊花大綬章 |
昭和5年12月5日 | 帝都復興記念章 |
昭和9年4月29日 | 金杯一箇 昭和六年乃至九年事変従軍記章[3] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[4] |
昭和17年3月20日 | 功三級金鵄勲章 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第1499号 昭和6年12月28日(月曜日)