松井七夫
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- まつい しちお
- 松井七夫
- 陸軍中将正四位勲二等功五級
- 歩兵
- 士候11 陸大20
- 愛知県
- 明治13年3月15日 - 昭和18年2月20日
経歴
明治13年3月15日 | 生 |
明治32年11月21日 | 陸軍士官学校卒業(士候11) |
明治33年6月22日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治36年8月3日 | 陸軍大学校入学 |
明治37年2月9日 | 陸軍大学校中退 |
明治39年3月20日 | 陸軍大学校復校 |
明治41年11月30日 | 陸軍大学校卒業(第20期) |
大正6年8月6日 | 任陸軍歩兵中佐[1] |
大正10年4月1日 | 陸軍歩兵大佐・歩兵第23聯隊長 |
大正11年8月15日 | 関東軍高級参謀 |
大正12年11月10日 | 奉天特務機関長 |
大正13年8月20日 | 支那政府応聘(奉天督軍顧問) |
大正14年5月1日 | 陸軍少将 |
昭和4年12月10日 | 補歩兵第21旅団長[2][3] |
昭和5年8月1日 | 任陸軍中将[4]・待命 |
昭和5年8月29日 | 予備役[4] |
昭和18年2月20日 | 死去[5] |
栄典
明治33年7月31日 | 叙正八位 |
明治36年2月20日 | 叙従七位 |
明治38年1月24日 | 叙正七位 |
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章 勲五等双光旭日章 明治三十七八年従軍記章[6] |
明治43年2月21日 | 叙従六位 |
大正4年3月20日 | 叙正六位 |
大正9年4月10日 | 叙従五位 |
大正9年7月31日 | 勲三等瑞宝章 |
大正14年5月1日 | 叙正五位 |
昭和4年11月1日 | 勲二等瑞宝章 |
昭和5年5月16日 | 叙従四位[7] |
昭和5年9月26日 | 叙正四位(特旨) |
昭和6年時点 | 勲三等旭日中綬章 ルーマニア王国四等王冠勲章 中華民国二等文虎勲章[4] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[8] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第5888号 明治36年2月21日(土曜日)
- 官報第6475号 明治38年2月2日(木曜日)
- 官報第7998号 明治43年2月23日(水曜日)
- 官報第789号 大正4年3月23日(火曜日)
- 官報第2305号 大正9年4月12日(月曜日)
- 官報第2400号 大正9年8月2日(月曜日)
- 官報第3845号 大正14年6月18日(木曜日)
- 官報第1087号 昭和5年8月13日(水曜日)
- 官報第1138号 昭和5年10月13日(月曜日)
- ↑ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正9年9月1日調
- ↑ 官報第886号 昭和4年12月11日(水曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に昭和4年12月21日とあるのは誤り。
- ↑ 4.0 4.1 4.2 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和6年4月1日調
- ↑ 官報第4883号 昭和18年4月26日(月曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月11日(火曜日)
- ↑ 官報第1045号 昭和5年6月25日(水曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)