松本鼎
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- まつもと かなえ
- 松本 鼎
- 陸軍中将正四位勲二等功三級
- 砲兵
- 士官生徒2
- 島根県
- 安政3年1月5日 - 昭和3年1月23日
経歴
安政3年1月5日 | 生 |
明治8年 | 陸軍士官学校入校 |
明治12年2月1日 | 任陸軍少尉 |
明治32年10月28日 | 補野砲兵第12聯隊長[1] |
明治35年11月15日 | 陸軍砲兵大佐 |
明治36年5月1日 | 補陸軍野戦砲兵射撃学校長 |
明治37年2月8日 | 第1軍砲兵部長 |
明治39年7月6日 | 野砲兵第10聯隊長 |
明治40年11月13日 | 陸軍少将・野砲兵第3旅団長 |
明治45年7月15日[2] | 補野砲兵第1旅団長 |
大正2年7月3日 | 陸軍中将・東京湾要塞司令官 |
大正3年5月11日 | 待命 |
大正3年8月8日 | 予備役 |
昭和3年1月23日 | 卒去 |
栄典
勲六等瑞宝章 | |
明治28年9月20日 | 功四級金鵄勲章 授単光旭日章 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治36年2月20日 | 叙従五位 |
明治36年5月16日 | 勲四等瑞宝章 |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 勲三等旭日中綬章 明治三十七八年従軍記章[3] |
明治40年12月27日 | 叙正五位 |
大正2年1月30日 | 叙従四位 |
大正3年5月16日 | 勲二等瑞宝章[4][5] |
大正3年9月1日 | 叙正四位 |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[6] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第5947号 明治36年5月2日(土曜日)
- 官報. 1912年07月16日
- ↑ 官報第4900号 明治32年10月30日(月曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に7月15日とあるのは誤り。
- ↑ 官報号外 明治39年12月11日(火曜日)
- ↑ 官報第539号 大正3年5月18日(月曜日)
- ↑ この時「従四位勲三等功三級」
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)