松村純
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- まつむら じゅん
- 松村 純
- 陸軍少将従四位勲三等功五級
- 砲兵
- 士候11 砲工高11 陸大23
- 長野県
- 明治11年6月 - 昭和5年9月29日
経歴
明治11年6月 | 生 |
明治32年11月21日 | 陸軍士官学校卒業(士候11) |
明治33年6月22日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治36年12月23日 | 陸軍砲工学校高等科卒業(第11期) |
明治41年12月25日 | 陸軍大学校入学 |
明治44年11月29日 | 陸軍大学校卒業(第23期) |
陸軍重砲兵射撃学校教官 | |
大正2年1月15日 | 任陸軍砲兵少佐 補重砲兵第2聯隊附 |
大正2年8月22日 | 補陸軍重砲兵射撃学校教官 |
大正5年11月15日 | 補基隆要塞参謀 |
大正6年8月6日 | 任陸軍砲兵中佐 補重砲兵第4聯隊附 |
大正7年7月24日 | 補由良要塞参謀 |
大正8年4月15日 | 補舞鶴重砲兵大隊長 |
大正10年2月21日 | 補野砲兵第9聯隊長[1] |
大正10年4月1日 | 陸軍砲兵大佐 |
大正11年8月15日 | 陸軍野戦砲兵学校教育部長 |
大正12年8月6日 | 陸軍重砲兵学校教育部長 |
大正14年5月1日 | 陸軍少将・鎮海湾要塞司令官 |
昭和2年7月26日 | 待命 |
昭和2年9月1日 | 予備役 |
昭和5年9月29日 | 死去 |
栄典
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲六等単光旭日章 明治三十七八年従軍記章[2] |
大正5年8月10日 | 叙正六位[3] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正6年9月1日調
- 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和4年4月1日調
- 官報第137号 大正2年1月16日(木曜日)
- 官報第321号 大正2年8月23日(土曜日)
- 官報第1288号 大正5年11月16日(木曜日)
- 官報第1505号 大正6年8月7日(火曜日)
- 官報第1794号 大正7年7月25日(木曜日)
- 官報第2008号 大正8年4月16日(水曜日)
- 官報. 1921年02月22日
- 官報第2598号 大正10年4月2日(土曜日)
- 官報第1174号 昭和5年11月26日(水曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に大正10年4月1日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第7036号 明治39年12月11日(火曜日)
- ↑ 官報第1210号 大正5年8月11日(金曜日)