林弥三吉
(林彌三吉から転送)
- はやし やさきち
- 林 弥三吉
- 陸軍中将従三位勲一等功四級
- 歩兵
- 士候8 陸大17
- 石川県士族
- 明治9年4月8日 - 昭和23年8月31日
経歴
- 長男敬三は内務官僚・統合幕僚会議議長
- 大正3年停年名簿では「彌三吉」、大正9年停年名簿・昭和9年予備役停年名簿では「弥三吉」。
明治9年4月8日 | 生[1] |
明治29年11月26日 | 陸軍士官学校卒業(士候8) |
明治30年6月28日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治33年12月15日 | 陸軍大学校入学 |
明治36年11月28日 | 陸軍大学校卒業(第17期) |
明治42年1月28日 | 任陸軍歩兵少佐[2] |
大正3年11月19日 | 任陸軍歩兵中佐[2] |
陸軍大学校兵学教官[3] | |
大正4年2月15日 | 補参謀本部部員兼元帥副官[3] 元帥陸軍大将公爵山縣有朋附属被仰付[3] |
大正6年8月6日 | 任陸軍歩兵大佐[4][2] 補参謀本部課長(欧米課)兼元帥副官陸軍大学校兵学教官[4] 元帥陸軍大将公爵山縣有朋附属被仰付[4] |
大正7年8月3日 | 浦塩派遣軍参謀 |
大正7年11月1日 | 参謀本部編制動員課長 |
大正8年7月25日 | 歩兵第37聯隊長 |
大正10年4月26日 | 第14師団参謀長 |
大正10年7月20日 | 陸軍省軍務局軍事課長 |
大正11年8月15日 | 陸軍少将・支那駐在武官 |
大正14年5月1日 | 歩兵第3旅団長 |
昭和2年3月5日 | 任陸軍中将[1]・教育総監部附 |
昭和2年7月26日 | 陸軍歩兵学校長 |
昭和3年8月10日 | 第4師団長 |
昭和5年12月22日 | 東京警備司令官 |
昭和7年2月29日 | 待命 |
昭和7年3月19日 | 予備役[1] |
昭和14年4月1日 | 後備役[5] |
昭和23年8月31日 | 死去 |
栄典
明治30年10月15日 | 叙正八位[6] |
明治32年12月26日 | 叙従七位[7] |
大正3年時点 | 正六位 勲五等双光旭日章 勲四等瑞宝章 功五級金鵄勲章 大清帝国二等第三双龍宝星[8] |
大正6年8月30日 | 叙従五位[9][2] |
大正9年時点 | 勲三等旭日中綬章 中華民国三等文虎勲章[2] |
大正11年9月11日 | 叙正五位[10] |
昭和2年4月1日 | 叙従四位[11] |
昭和4年5月2日 | 叙正四位[12] |
昭和7年4月15日 | 叙従三位(特旨)[13][1] |
昭和9年時点 | 勲一等瑞宝章 功四級金鵄勲章 フランス共和国レジオンドヌール勲章コマンドゥール 中華民国二等嘉禾章[1] |
昭和9年3月1日 | 満洲国建国功労章[14] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[15] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和9年4月1日調
- ↑ 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正9年9月1日調
- ↑ 3.0 3.1 3.2 官報第760号 大正4年2月16日(火曜日)
- ↑ 4.0 4.1 4.2 官報第908号 大正4年8月11日(水曜日)
- ↑ 官報第3720号 昭和14年6月2日(金曜日)
- ↑ 官報第4289号 明治30年10月16日(土曜日)
- ↑ 官報第4948号 明治32年12月27日(水曜日)
- ↑ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正3年7月1日調
- ↑ 官報第1526号 大正6年9月1日(土曜日)
- ↑ 官報第3035号 大正11年9月12日(土曜日)
- ↑ 官報第83号 昭和2年4月12日(火曜日)
- ↑ 官報第771号 昭和4年7月25日(木曜日)
- ↑ 官報第1593号 昭和7年4月23日(土曜日)
- ↑ 官報第2511号 昭和10年5月20日(月曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)