林鍊作
(林錬作から転送)
- はやし れんさく
- 林 鍊作
- 陸軍少将従四位勲三等
- 砲兵
- 草創期
- 山口県士族
- 嘉永5年4月14日 - 昭和10年10月18日
経歴
嘉永5年4月14日 | 生 |
明治10年4月15日 | 任陸軍少尉[1] |
明治13年5月6日 | 任陸軍砲兵中尉[1] |
明治17年5月21日 | 任陸軍砲兵大尉[1] |
明治21年5月21日 | 補砲兵会議事務官[2] |
明治22年3月28日 | 補要塞砲兵幹部練習所教官[3] |
明治22年12月30日 | 任陸軍砲兵少佐[1] |
明治25年9月21日 | 補大阪砲兵工廠附[4] |
明治26年6月14日 | 補大阪砲兵工廠副提理[5] |
明治27年3月6日 | 補陸軍砲工学校教官[6][7] |
明治27年7月4日 | 大阪砲兵工廠御用掛兼勤ヲ命ス[8] |
明治28年3月18日 | 任陸軍砲兵中佐[1] |
明治29年5月21日 | 兼補陸軍将校生徒試験常置委員[9] |
明治29年7月25日 | 兼補砲兵会議議員[10] |
明治32年2月1日 | 任陸軍砲兵大佐[1] |
明治32年10月28日 | 補佐世保要塞砲兵聯隊長[11][7] |
明治37年5月21日 | 東京湾要塞砲兵聯隊長 |
明治38年3月24日 | 補函館要塞司令官[12] |
明治38年12月20日 | 佐世保要塞砲兵聯隊長 |
明治39年7月6日 | 任陸軍少将・予備役 |
明治40年4月1日 | 後備役[13] |
明治45年4月1日 | 退役[14] |
昭和10年10月18日 | 卒去[15] |
栄典
明治17年6月30日 | 叙正七位[16] |
明治18年11月19日 | 勲五等双光旭日章[17] |
明治22年11月29日 | 大日本帝国憲法発布記念章[18] |
明治24年12月28日 | 叙従六位[19] |
明治28年7月15日 | 叙正六位[20] |
明治32年4月10日 | 叙従五位[21] |
明治38年7月10日 | 叙正五位[22] |
明治39年10月20日 | 叙従四位(特旨)[23] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[24] |
昭和10年10月18日 | 卒去[15] |
昭和10年10月19日 | 葬送ニ付キ幣帛ヲ下賜セラル[25] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 明治36年7月1日調
- ↑ 2.0 2.1 官報第1468号 明治21年5月24日(木曜日)
- ↑ 3.0 3.1 官報第1722号 明治22年3月30日(土曜日)
- ↑ 4.0 4.1 官報第2774号 明治25年9月24日(土曜日)
- ↑ 5.0 5.1 官報第2987号 明治26年6月15日(木曜日)
- ↑ 6.0 6.1 官報第3206号 明治27年3月10日(土曜日)
- ↑ 7.0 7.1 7.2 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に”明治35・5・5砲工校教官”とあるのは誤り。
- ↑ 8.0 8.1 官報第3305号 明治27年7月6日(金曜日)
- ↑ 9.0 9.1 官報第3871号 明治29年5月27日(水曜日)
- ↑ 10.0 10.1 官報第3924号 明治29年7月28日(火曜日)
- ↑ 11.0 11.1 官報第4900号 明治32年10月30日(月曜日)
- ↑ 12.0 12.1 官報第6521号 明治38年3月30日(木曜日)
- ↑ 13.0 13.1 官報第7174号 明治40年5月31日(金曜日)
- ↑ 14.0 14.1 官報第8639号 明治45年4月10日(水曜日)
- ↑ 15.0 15.1 15.2 官報第2694号 昭和10年12月24日(火曜日)
- ↑ 16.0 16.1 テンプレート:明治17年7月22日官報
- ↑ 17.0 17.1 官報第722号 明治18年11月26日(月曜日)
- ↑ 18.0 18.1 官報第1947号 明治22年12月23日(月曜日)
- ↑ 19.0 19.1 官報第2551号 明治25年1月4日(月曜日)
- ↑ 20.0 20.1 官報第3613号 明治28年7月16日(火曜日)
- ↑ 21.0 21.1 官報第4729号 明治32年4月11日(火曜日)
- ↑ 22.0 22.1 官報第6610号 明治38年7月13日(木曜日)
- ↑ 23.0 23.1 官報第3995号 明治39年10月22日(月曜日)
- ↑ 24.0 24.1 官報第1311号 大正5年12月14日(木曜日)
- ↑ 25.0 25.1 官報第2643号 昭和10年10月23日(水曜日)