森田宣
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- もりた のぶる
- 森田 宣
- 陸軍中将正四位勲二等功五級
- 砲兵
- 士候14 陸大23
- 山口県
- 明治13年7月15日 - 昭和36年7月1日
経歴
明治13年7月15日 | 生 |
明治35年11月22日 | 陸軍士官学校卒業(士候14) |
明治36年6月26日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治41年12月25日 | 陸軍大学校入学 |
明治44年11月29日 | 陸軍大学校卒業(第23期) |
参謀本部附被仰付 | |
大正9年1月10日 | 平和条約実施委員被仰付(少佐) |
大正10年5月16日 | 補参謀本部部員 |
野戦重砲兵第7聯隊附 | |
大正12年8月6日 | 支那駐屯軍司令部附被仰付 |
大正13年8月20日 | アメリカ大使館附武官 |
大正13年12月15日 | 陸軍砲兵大佐 |
昭和3年2月13日 | 免本職 参謀本部附被仰付 |
昭和3年3月8日 | 野砲兵第6聯隊長 |
昭和4年8月29日 | 参謀本部戦史課長 |
昭和5年8月1日 | 陸軍少将・野戦重砲兵第4旅団長 |
昭和7年8月8日 | 国聯陸軍代表 |
昭和8年2月4日 | ジュネーヴ軍縮会議随員 |
昭和8年12月28日 | 陸軍兵器本廠附 |
昭和9年8月1日 | 陸軍中将 |
昭和9年12月1日 | 由良要塞司令官 |
昭和11年3月7日 | 待命 |
昭和11年3月16日 | 予備役被仰付 |
昭和11年11月11日 | 任別当 高等官一等 朝香宮附ヲ命ス[1] |
昭和12年7月27日 | 留守第10師団長 |
昭和13年7月15日 | 召集解除 |
昭和36年7月1日 | 死去 |
栄典
大正9年11月1日 | 賜金2400円 大正三年乃至九年戦役従軍記章 |
大正13年12月27日 | 叙従五位[2] |
昭和5年2月1日 | 叙正五位[3] |
昭和9年9月1日 | 叙従四位[4] |
昭和10年時点 | 勲二等旭日重光章 勲二等瑞宝章 功五級金鵄勲章 ロシア帝国聖アンナ第三等勲章 イギリス帝国サーヴィス勲章 フランス共和国四等レジオンドヌール勲章 |
昭和11年4月14日 | 叙正四位(特旨)[5] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[6] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第2231号 大正9年1月14日(水曜日)
- 官報第2610号 大正10年4月16日(土曜日)
- 官報. 1921年05月17日
- 官報第3306号 大正12年8月7日(火曜日)
- 官報. 1928年02月14日
- 官報第2760号 昭和11年3月17日(火曜日)