植村東彦
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- うえむら はるひこ
- 植村東彦
- 陸軍中将
- 砲兵
- 士候13 砲工高13
- 東京都
- 明治14年4月25日 - 昭和39年5月18日
経歴
- 東大応用化学卒
明治14年4月25日 | 生 |
明治34年11月22日 | 陸軍士官学校卒業(士候13) |
明治35年6月23日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治40年12月18日 | 陸軍砲工学校高等科卒業(第13期) |
東京砲兵工廠廠員 | |
大正6年8月29日 | 補東京砲兵工廠銃包製造所長 |
大正7年7月24日 | 補東京砲兵工廠砲具製造所長 |
大正9年8月10日 | 任陸軍砲兵中佐 |
大正12年4月1日 | 補陸軍造兵廠東京工廠砲具製造所長 |
大正13年2月4日 | 任陸軍砲兵大佐 |
大正13年5月23日 | 兼補陸軍造兵廠東京工廠精器製造所長 |
大正13年6月22日 | 免兼職 |
大正13年8月20日 | 補陸軍省兵器局工政課長 |
大正14年7月31日 | 商工事務官被仰付 |
大正15年10月1日 | 補陸軍技術本部部員 |
昭和2年7月26日 | 陸軍技術本部附被仰付 |
昭和3年3月8日 | 補陸軍省兵器局銃砲課長 |
昭和4年8月1日 | 陸軍少将・陸軍技術本部第1部長 |
昭和5年8月1日 | 陸軍省兵器局長 |
昭和8年8月1日 | 陸軍中将 |
昭和9年8月1日 | 陸軍造兵廠長官 |
昭和11年4月22日 | 待命 |
昭和11年7月6日 | 予備役 |
昭和12年4月15日 | 失官(収賄罪で懲役2年6月判決確定)[1] |
昭和39年5月18日 | 死去 |
栄典
明治39年4月1日 | 勲六等単光旭日章 賜金400円 明治三十七八年従軍記章[2] |
大正13年3月29日 | 叙従五位 |
昭和4年5月2日 | 叙正五位[3] |
昭和8年8月28日 | 勲二等瑞宝章[4] |
昭和8年9月1日 | 叙従四位[5] |
昭和10年7月24日 | ペルー国ソレイユ勲章グランオフィシェー佩用允許[6] |