武藤一彦
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- むとう かずひこ
- 武藤一彦
- 陸軍中将正四位勲一等功五級
- 騎兵
- 士候13
- 大分県
- 明治14年1月18日 - 昭和43年2月2日
経歴
明治14年1月18日 | 生 |
明治34年11月22日 | 陸軍士官学校卒業(士候13) |
明治35年6月23日 | 任陸軍騎兵少尉 |
大正11年8月15日 | 騎兵第16聯隊長 |
大正12年8月6日 | 陸軍騎兵大佐 |
大正13年12月15日 | 第10師団参謀長 |
昭和4年8月1日 | 任陸軍少将・騎兵第4旅団長 |
昭和6年8月1日 | 第12師団司令部附 |
昭和7年8月8日 | 軍馬補充部本部長 |
昭和8年8月1日 | 任陸軍中将 |
昭和9年8月1日 | 待命 |
昭和9年8月30日 | 予備役被仰付[1] |
昭和12年7月27日 | 留守第6師団長 |
昭和14年3月9日 | 召集解除 |
昭和19年6月24日 | 大分県大分市長(~昭和20年3月31日) |
昭和20年3月31日 | 補大分聯隊区司令官兼大分地区司令官[2] |
昭和43年2月2日 | 死去 |
栄典
明治35年11月7日 | 叙正八位 |
明治38年1月11日 | 叙従七位 |
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲六等単光旭日章 明治三十七八年従軍記章 |
明治43年2月21日 | 叙正七位 |
大正4年3月20日 | 叙従六位 |
大正9年4月10日 | 叙正六位 |
大正9年8月6日 | 中華民国四等文虎勲章佩用允許 |
大正9年11月1日 | 戦捷記章 |
大正12年9月30日 | 勲三等瑞宝章[3] |
大正12年11月30日 | 叙従五位 |
昭和3年5月22日 | 旭日中綬章 |
昭和3年12月28日 | 叙正五位 |
昭和8年9月1日 | 叙従四位[4] |
昭和9年3月1日 | 満洲国建国功労章佩用允許[5] |
昭和9年9月29日 | 叙正四位(特旨)[6] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[7] |
昭和17年4月24日 | 勲一等旭日大綬章(親授式) |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿 : 索引付. 昭和8年9月1日調
- 官報第5805号 明治35年11月8日(土曜日)
- 官報第6462号 明治38年1月17日(火曜日)
- 官報号外 明治39年12月4日(火曜日)
- 官報第7998号 明治43年2月23日(水曜日)
- 官報第789号 大正4年3月23日(火曜日)
- 官報第2305号 大正9年4月12日(月曜日)
- 官報第1804号 大正9年8月7日(水曜日)
- 官報第2984号 大正11年7月13日(木曜日)
- 官報第3385号 大正12年12月4日(火曜日)
- 官報第419号 昭和3年5月23日(水曜日)
- 官報第624号 昭和4年1月30日(水曜日)
- 官報第4586号 昭和17年4月27日(月曜日)