水原義重
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- みずはら よししげ
- 水原義重
- 陸軍中将勲一等
- 歩兵
- 士候20
- 愛媛県
- 明治20年9月3日 - 昭和43年8月13日
経歴
明治20年9月3日 | 生 |
明治39年12月1日 | 陸軍士官学校入校 |
明治41年5月27日 | 陸軍士官学校卒業(士候20) |
明治41年12月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
大正14年8月7日 | 任陸軍歩兵少佐 |
昭和5年8月1日 | 任陸軍歩兵中佐 |
昭和8年8月1日 | 独立守備歩兵第2大隊長 |
昭和10年8月1日 | 陸軍歩兵大佐・丸亀聯隊区司令官 |
昭和11年8月1日 | 第1師団司令部附(國學院大學服務) |
昭和12年8月31日 | 関東軍野戦鉄道司令部龍山支部長 |
昭和13年3月1日 | 第1鉄道線区司令官 |
昭和13年12月10日 | 陸軍少将・北支那方面軍司令部附 |
昭和14年2月13日 | 独立混成第7旅団長 |
昭和15年3月9日 | 独立混成第8旅団長 |
昭和16年3月1日 | 第55師団司令部附 |
昭和16年8月1日 | 第55師団兵務部長(~昭和17年8月1日) |
昭和18年2月15日 | 福岡陸軍軍需輸送統制部長 |
昭和19年9月29日 | 兼補第1船舶輸送司令部附 |
昭和20年1月15日 | 補西部軍司令部附 |
昭和20年1月20日 | 第128師団長心得被仰付 |
昭和20年3月1日 | 任陸軍中将[1] 補第128師団長(親補) |
昭和43年8月13日 | 死去 |
栄典
明治45年3月1日 | 叙従七位 |
大正8年10月25日 | 勲六等瑞宝章 |
昭和7年6月15日 | 叙従五位 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[2] |
昭和20年7月25日 | 勲一等瑞宝章[3] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和9年9月1日調
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、鉄道輸送計画表送付の件(防衛省防衛研究所)」Ref.C04120271100
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、参謀総長に対する申告書 昭和13年12月(防衛省防衛研究所)」Ref.C15120339700
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第201号 昭和19年9月29日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120921500
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第9号 昭和20年1月16日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120931000
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第14号 昭和20年1月21日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120931700
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第42号 昭和20年3月1日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120934600
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、人往第400号 将校進級の件内報 昭和20年2月17日(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120934500
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第44号 昭和20年3月1日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120934800
- 官報第8608号 明治45年3月2日(土曜日)
- 官報第2169号 大正8年10月27日(月曜日)
- 官報第1647号 昭和7年6月28日(火曜日)
- ↑ 「人往第400号 将校進級の件内報」に”予備役中将ニ”との記述があった。予備役編入は昭和17年頃だろうか
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)
- ↑ 官報第5730号 昭和21年2月21日(木曜日)