江藤源九郎
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- えとう げんくろう
- 江藤源九郎
- 陸軍少将従四位勲二等功四級
- 歩兵
- 士候11
- 佐賀県士族
- 明治12年2月25日 - 昭和32年5月3日
経歴
明治12年2月25日 | 生 |
明治32年11月21日 | 陸軍士官学校卒業(士候11) |
明治33年6月22日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治35年11月15日 | 任陸軍歩兵中尉[1] |
明治37年12月5日 | 任陸軍歩兵大尉[1] |
大正2年8月22日 | 任陸軍歩兵少佐[2] 補関東都督府副官[3] |
大正7年7月24日 | 任陸軍歩兵中佐[2] 補歩兵第52聯隊附[4][5] |
大正8年7月25日 | 補八代聯隊区司令部部員[5] |
大正11年8月15日 | 陸軍歩兵大佐・新発田聯隊区司令官 |
大正13年2月4日 | 補歩兵第53聯隊長[6] |
大正14年5月1日 | 歩兵第38聯隊長 |
昭和2年7月26日 | 陸軍少将・第6師団司令部附 |
昭和2年12月15日 | 依願予備役被仰付[7] |
昭和7年2月20日 | 第18回衆議院議員総選挙当選(奈良全県区) |
昭和11年2月20日 | 第19回衆議院議員総選挙当選 |
昭和12年4月30日 | 第20回衆議院議員総選挙当選 |
昭和13年4月1日 | 後備役[8] |
昭和14年1月19日 | 任拓務参与官 叙高等官二等[9] |
昭和14年9月19日 | 依願免本官(拓務参与官)[10] |
昭和17年4月30日 | 第21回衆議院議員総選挙当選 |
昭和20年12月15日 | 衆議院議員辞職 |
昭和32年5月3日 | 死去 |
栄典
明治33年7月31日 | 叙正八位[11] |
明治36年2月20日 | 叙従七位[12] |
明治38年1月24日 | 叙正七位[13] |
明治39年4月1日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 勲五等双光旭日章 明治三十七八年従軍記章[14] |
明治43年2月21日 | 叙従六位[15] |
大正3年5月16日 | 勲四等瑞宝章[16] |
大正4年3月20日 | 叙正六位[17] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[18] |
大正9年4月10日 | 叙従五位[19] |
大正10年5月31日 | 勲三等瑞宝章[20] |
大正14年5月1日 | 叙正五位[21] |
昭和3年1月14日 | 叙従四位(特旨)[22] |
昭和7年10月1日 | 朝鮮昭和五年国勢調査記念章[23] |
昭和9年4月29日 | 旭日中綬章[24] |
昭和15年7月13日 | 勲二等瑞宝章[25] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[26] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正3年7月1日調
- ↑ 2.0 2.1 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正9年9月1日調
- ↑ 官報第321号 大正2年8月23日(土曜日)
- ↑ 官報第1794号 大正7年7月25日(木曜日)
- ↑ 5.0 5.1 官報第2093号 大正8年7月26日(土曜日)
- ↑ 官報第3435号 大正13年2月7日(木曜日)
- ↑ 官報第292号 昭和2年12月17日(土曜日)
- ↑ 官報第3416号 昭和13年5月26日(木曜日)
- ↑ 官報第3611号 昭和14年1月20日(金曜日)
- ↑ 官報第3814号 昭和14年9月20日(水曜日)
- ↑ 官報第5124号 明治33年8月1日(水曜日)
- ↑ 官報第5888号 明治36年2月21日(土曜日)
- ↑ 官報第6475号 明治38年2月2日(木曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月5日(水曜日)
- ↑ 官報第7998号 明治43年2月23日(水曜日)
- ↑ 官報第539号 大正3年5月18日(月曜日)
- ↑ 官報第789号 大正4年3月23日(火曜日)
- ↑ 官報第1402号 大正6年4月7日(土曜日)
- ↑ 官報第2305号 大正9年4月12日(月曜日)
- ↑ 官報第2650号 大正10年6月2日(木曜日)
- ↑ 官報第3845号 大正14年6月18日(木曜日)
- ↑ 官報第313号 昭和3年1月17日(火曜日)
- ↑ 官報第2668号 昭和10年11月22日(金曜日)
- ↑ 官報第2696号 昭和10年12月27日(金曜日)
- ↑ 官報第4057号 昭和15年7月16日(火曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)