河合操
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- かわい みさお
- 河合 操
- 陸軍大将従一位勲一等功三級
- 歩兵
- 士官生徒8 陸大8
- 大分県
- 元治1年9月26日 - 昭和16年10月11日
経歴
元治1年9月26日 | 生 |
明治19年6月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治22年12月2日 | 陸軍大学校入学 |
明治25年12月2日 | 陸軍大学校卒業(第8期) |
明治37年6月20日 | 満洲軍参謀 |
明治37年11月7日 | 第4軍参謀 |
明治38年1月27日 | 第3軍参謀副長 |
明治39年2月10日 | 陸軍省軍務局附(独国駐在) |
明治40年2月10日 | 陸軍大学校兵学教官 |
明治40年11月13日 | 陸軍歩兵大佐・陸軍大学校幹事 |
明治41年11月10日 | 陸軍省軍務局歩兵課長 |
明治43年11月30日 | 陸軍少将・歩兵第7旅団長 |
明治45年4月12日 | 陸軍省人事局長 |
大正4年1月25日 | 陸軍大学校長 |
大正4年8月10日 | 陸軍中将 |
大正6年8月6日 | 第1師団長 |
大正10年1月6日 | 関東軍司令官 |
大正10年4月9日 | 陸軍大将 |
大正11年5月10日 | 軍事参議官 |
大正12年3月17日 | 参謀総長 |
大正15年3月2日 | 予備役 |
昭和2年5月18日 | 枢密顧問官 |
昭和16年10月11日 | 薨去 |
栄典
明治19年11月27日 | 叙正八位 |
明治25年1月27日 | 叙従七位 |
明治27年12月18日 | 叙正七位 |
明治28年11月18日 | 明治二十七八年従軍記章 |
明治29年4月11日 | 功五級金鵄勲章 勲六等瑞宝章 |
明治32年3月31日 | 勲五等双光旭日章 |
明治33年2月10日 | 叙従六位 |
明治37年9月13日 | 叙正六位 |
明治38年5月30日 | 勲四等瑞宝章 |
明治39年4月1日 | 功三級金鵄勲章 勲三等旭日中綬章 明治三十七八年従軍記章 |
明治40年12月27日 | 叙従五位 |
明治44年2月10日 | 叙正五位 |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章 |
大正4年8月28日 | 勲二等瑞宝章 |
大正4年9月10日 | 叙従四位 |
大正4年11月7日 | 旭日重光章 賜金2900円 大正三四年従軍記章[1] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[2] |
大正6年10月1日 | 叙正四位 |
大正8年5月7日 | 金杯一個 |
大正8年12月15日 | 戦捷記章[3] |
大正9年10月11日 | 叙従三位 |
大正9年11月1日 | 勲一等瑞宝章 賜金1600円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[4] |
大正10年7月1日 | 第一回国勢調査記念章[5] |
大正12年12月10日 | 叙正三位 |
大正13年12月25日 | 旭日大綬章 |
昭和3年11月10日 | 大礼記念章 |
昭和5年3月15日 | 叙従二位 |
昭和6年3月20日 | 帝都復興記念章 |
昭和9年4月29日 | 金杯一組 昭和六年乃至九年事変従軍記章[6] |
昭和12年4月1日 | 叙正二位 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[7] |
昭和16年10月11日 | 薨去 叙従一位 旭日桐花大綬章 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第3073号 昭和12年4月2日(金曜日)