瀧原三郎
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- たきはら さぶろう
- 瀧原三郎
- 陸軍少将従四位勲三等功五級
- 砲兵
- 士候12 陸大21
- 山口県
- 明治10年8月4日 -
経歴
明治10年8月4日 | 生 |
明治32年12月1日 | 陸軍士官学校入校 |
明治33年11月21日 | 陸軍士官学校卒業(士候12) |
明治33年11月26日 | 見習士官ヲ命ス |
明治34年6月25日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治39年11月22日 | 陸軍大学校入学 |
明治42年12月3日 | 陸軍大学校卒業(第21期) |
野砲兵第25聯隊大隊長 | |
大正5年11月15日 | 補第18師団参謀 |
大正8年4月1日 | 任陸軍砲兵中佐 補台湾総督府陸軍参謀 |
大正8年8月20日 | 台湾軍参謀 |
大正9年8月10日 | 補野砲兵第3聯隊附 |
大正10年7月20日 | 補下関要塞参謀 |
大正12年3月17日 | 任陸軍砲兵大佐 補舞鶴重砲兵大隊長[1] |
大正13年2月4日 | 補野砲兵第10聯隊長 |
大正14年4月11日 | 第10師団司令部附被仰付 |
大正14年8月7日 | 第1師団司令部附(早稲田大学服務) |
昭和3年3月8日 | 陸軍少将・対馬要塞司令官 |
昭和4年3月16日 | 待命 |
昭和4年3月29日 | 予備役 |
昭和11年4月1日 | 後備役[2] |
栄典
昭和4年4月27日 | 叙従四位(特旨) |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[3] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和10年9月1日調
- 官報第1288号 大正5年11月16日(木曜日)
- 官報第1997号 大正8年4月2日(水曜日)
- 官報第2408号 大正9年8月11日(水曜日)
- 官報第2692号 大正10年7月21日(木曜日)
- 官報第3188号 大正12年3月19日(月曜日)
- 官報第3435号 大正13年2月7日(木曜日)
- 官報第3790号 大正14年4月14日(火曜日)
- 官報第703号 昭和4年5月7日(火曜日)
- ↑ 「大正12年3月19日官報」で階級が"陸軍砲兵少佐"となっているのは誤り。
- ↑ 官報第2795号 昭和11年4月30日(木曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)