牛島貞雄
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- うしじま さだお
- 牛島貞雄
- 陸軍中将従三位勲一等功二級
- 歩兵
- 士候12 陸大24
- 熊本県
- 明治9年1月30日 - 昭和35年9月1日
経歴
明治9年1月30日 | 生[1] |
陸軍教導団 | |
明治32年12月1日 | 陸軍士官学校入校 |
明治33年11月21日 | 陸軍士官学校卒業(士候12) |
明治33年11月26日 | 見習士官ヲ命ス |
明治34年6月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治42年12月25日 | 陸軍大学校入学 |
大正1年11月25日 | 陸軍大学校卒業(第24期) |
大正11年4月1日 | 陸軍歩兵大佐・陸軍大学校附 |
大正12年8月6日 | 歩兵第3聯隊長 |
大正13年12月15日 | 参謀本部庶務課長 |
大正15年12月20日 | 任陸軍少将[1] 補豊予要塞司令官[2][3] |
昭和2年3月5日 | 歩兵第29旅団長 |
昭和4年8月1日 | 陸軍大学校幹事 |
昭和5年12月22日 | 陸軍大学校長 |
昭和6年8月1日 | 任陸軍中将[1] |
昭和8年3月18日 | 第19師団長 |
昭和10年3月15日 | 待命 |
昭和10年3月30日 | 予備役 |
昭和12年9月11日 | 第18師団長 |
昭和13年7月15日 | 召集解除 |
昭和14年4月1日 | 後備役[4] |
陸軍司政長官(フィリピン・ビサヤ支部長) | |
帝国在郷軍人会副会長 | |
昭和35年9月1日 | 薨去 |
栄典
明治34年10月10日 | 叙正八位[5] |
明治37年2月19日 | 叙従七位[6] |
明治38年8月11日 | 叙正七位[7] |
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲五等双光旭日章 明治三十七八年従軍記章 |
明治43年9月30日 | 叙従六位[8] |
大正4年10月30日 | 叙正六位[9] |
大正9年11月30日 | 叙従五位[10] |
大正14年12月28日 | 叙正五位[11] |
昭和6年1月16日 | 叙従四位[12] |
勲二等瑞宝章 中華民国四等文虎勲章[1] | |
昭和9年4月29日 | 勲一等瑞宝章 |
昭和10年4月25日 | 叙従三位(特旨)[13] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[14] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報号外 明治39年12月6日(木曜日)
- 人事興信録 第13版上
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和9年9月1日調
- ↑ 官報第4299号 大正15年12月21日(火曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に大正15年12月24日少将,昭和1年12月28日豊予要塞司令官とあるのは誤り。
- ↑ 官報第3715号 昭和14年5月27日(土曜日)
- ↑ 官報第5484号 明治34年10月11日(金曜日)
- ↑ 官報第6188号 明治37年2月20日(土曜日)
- ↑ 官報第6640号 明治38年8月17日(木曜日)
- ↑ 官報第8185号 明治43年10月1日(土曜日)
- ↑ 官報第976号 大正4年11月1日(月曜日)
- ↑ 官報第2500号 大正9年12月1日(水曜日)
- ↑ 官報第4046号 大正15年2月22日(月曜日)
- ↑ 官報第1225号 昭和6年1月31日(土曜日)
- ↑ 官報第2493号 昭和10年4月27日(土曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)