生沼昭次
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- おいぬま しょうじ
- 生沼昭次
- 陸軍少将従四位勲三等功四級
- 歩兵
- 士候9 陸大19
- 石川県
- 明治10年10月3日 - 昭和10年10月9日
経歴
明治10年10月3日 | 生[1] |
明治30年11月29日 | 陸軍士官学校卒業(士候9) |
明治31年6月27日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治35年8月9日 | 陸軍大学校入学 |
明治37年2月9日 | 陸軍大学校中退 |
明治39年3月20日 | 陸軍大学校復校 |
明治40年11月30日 | 陸軍大学校卒業(第19期) |
大正6年8月6日 | 歩兵第59聯隊附[2] |
大正7年6月10日 | 陸軍歩兵大佐・歩兵第59聯隊長 |
大正8年3月25日 | 第14師団参謀長[3] |
大正10年4月26日 | 依願休職被仰付[3] |
大正10年7月20日 | 補大分聯隊区司令官[4] |
大正12年8月6日 | 陸軍少将・待命 |
大正12年9月1日 | 予備役 |
昭和10年10月9日 | 卒去[5] |
栄典
明治38年9月30日 | 大韓帝国勲四等太極章佩用允許[6] |
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲五等双光旭日章 明治三十七八年従軍記章[7] |
明治42年6月11日 | 叙従六位[8] |
大正3年7月10日 | 叙正六位[9] |
大正7年3月3日 | イタリア王国三等王冠勲章佩用允許[10] |
大正7年7月10日 | 叙従五位[11] |
大正9年11月1日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 賜金1300円 大正三年乃至九年戦役従軍記章[12] |
大正12年8月6日 | 叙正五位[13] |
大正12年10月30日 | 叙従四位(特旨)[14] |
昭和9年4月29日 | 銀杯一箇 昭和六年乃至九年事変従軍記章[15] |
昭和9年時点 | 勲三等旭日中綬章 勲四等瑞宝章[1] |
昭和10年10月11日 | 葬送ニ付勅使トシテ入江相政差遣、幣帛ヲ下賜セラル[16] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- ↑ 1.0 1.1 陸軍予備役将校同相当官服役停年名簿. 昭和9年4月1日調
- ↑ 官報第1505号 大正6年8月7日(火曜日)
- ↑ 3.0 3.1 官報第2619号 大正10年4月27日(水曜日)
- ↑ 官報第2692号 大正10年7月21日(木曜日)
- ↑ 官報第2657号 昭和10年11月9日(土曜日)
- ↑ 官報第6689号 明治38年10月13日(金曜日)
- ↑ 官報号外 明治39年12月8日(土曜日)
- ↑ 官報第7788号 明治42年6月12日(土曜日)
- ↑ 官報第584号 大正3年7月11日(土曜日)
- ↑ 官報第1675号 大正7年3月6日(水曜日)
- ↑ 官報第1782号 大正7年7月11日(木曜日)
- ↑ 官報第2649号 大正10年6月1日(水曜日)
- ↑ 官報第3307号 大正12年8月8日(水曜日)
- ↑ 官報第3358号 大正12年11月1日(木曜日)
- ↑ 官報第2995号 昭和11年12月24日(木曜日)
- ↑ 官報第2635号 昭和10年10月12日(土曜日)