田中國重
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- たなか くにしげ
- 田中國重
- 陸軍大将正三位勲一等功三級
- 騎兵
- 士候4 陸大14優等
- 鹿児島県
- 明治2年12月17日 - 昭和16年3月9日
経歴
明治2年12月17日 | 生 |
明治26年7月25日 | 陸軍士官学校卒業(士候4) |
明治27年3月7日 | 任陸軍騎兵少尉 |
明治30年12月28日 | 陸軍大学校入学 |
明治33年12月20日 | 陸軍大学校卒業(第14期優等) |
明治39年2月8日 | 米国公使館附 |
明治42年4月1日 | 任陸軍騎兵中佐 |
明治43年10月1日 | 参謀本部部員 |
大正2年8月22日 | 任陸軍騎兵大佐 補騎兵第16聯隊長[1] |
大正3年8月22日 | 侍従武官 |
大正6年1月9日 | 英国大使館附武官 |
大正7年7月24日 | 陸軍少将 |
大正8年7月25日 | 参謀本部第2部長 |
大正11年2月8日 | 騎兵第3旅団長 |
大正11年8月15日 | 陸軍中将・第15師団長 |
大正14年5月1日 | 近衛師団長 |
大正15年7月28日 | 台湾軍司令官 |
昭和3年8月10日 | 陸軍大将・軍事参議官 |
昭和4年8月1日 | 待命 |
昭和4年8月31日 | 予備役 |
昭和10年4月1日 | 後備役 |
昭和14年4月1日 | 退役[2] |
昭和16年3月9日 | 薨去 |
栄典
大正2年10月20日 | 叙従五位[3] |
功三級金鵄勲章 | |
大正9年9月7日 | 勲二等旭日重光章 賜金3400円 (対独平和条約締結並ニ大正四年乃至九年戦役ノ功)[4] 大正三年乃至九年戦役従軍記章[5] 戦捷記章[6] |
昭和2年6月30日 | 勲一等瑞宝章 |
昭和4年9月30日 | 叙正三位(特旨)[7] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[8] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第2515号 昭和10年5月24日(金曜日)