白石通則
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- しろいし みちのり
- 白石通則
- 陸軍中将正四位勲二等功五級
- 歩兵
- 士候7 陸大16
- 愛媛県
- 明治6年11月5日 -
経歴
明治6年11月5日 | 生 |
明治29年5月27日 | 陸軍士官学校卒業(士候7) |
明治30年1月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治32年12月13日 | 陸軍大学校入学 |
明治35年11月28日 | 陸軍大学校卒業(第16期) |
大正3年1月14日 | 補津聯隊区司令官[1] |
大正5年1月14日 | 福岡俘虜収容所長被仰付[2][3] |
大正5年4月1日 | 陸軍歩兵大佐 |
大正5年11月15日 | 歩兵第7聯隊長 |
大正7年7月24日 | 第19師団参謀長 |
大正9年5月12日 | 陸軍少将・歩兵第31旅団長 |
大正12年8月6日 | 陸軍戸山学校長 |
大正13年8月20日 | 旅順要塞司令官 |
大正13年12月15日 | 陸軍中将 |
大正14年5月1日 | 待命 |
大正14年5月25日 | 予備役[4] |
昭和11年4月1日 | 後備役 |
栄典
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲五等双光旭日章 明治三十七八年従軍記章 |
大正9年6月25日 | 勲三等瑞宝章 |
大正11年11月1日 | 勲二等瑞宝章(西比利亜地方派遣中ノ功)[5] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[6] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報号外 明治39年12月6日(木曜日)
- 官報第2370号 大正9年6月26日(土曜日)
- 官報第2785号 昭和11年4月17日(金曜日)
- ↑ 官報第437号 大正3年1月15日(木曜日)
- ↑ 官報第1034号 大正5年1月15日(土曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に大正5年4月1日とあるのは誤り。
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に大正15年3月22日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第3347号 大正12年10月18日(木曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)