石井隼太
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- いしい はやた
- 石井隼太
- 陸軍中将正四位勲二等功三級
- 砲兵
- 士官生徒2
- 宮崎県
- 安政3年8月 - 昭和4年2月10日
経歴
安政3年8月 | 生 |
明治8年 | 陸軍士官学校入校 |
明治12年2月1日 | 任陸軍少尉 |
明治33年4月25日 | 野砲兵第10聯隊長 |
明治34年11月6日 | 陸軍砲兵大佐 |
明治39年7月6日 | 陸軍少将・由良要塞司令官 |
明治40年11月13日[1] | 補重砲兵第2旅団長 |
明治42年8月1日 | 韓国統監府附武官 |
明治43年11月30日 | 野砲兵第2旅団長 |
大正1年12月26日 | 陸軍中将・下関要塞司令官 |
大正2年8月22日 | 待命 |
大正3年5月11日 | 予備役 |
大正11年4月1日 | 退役 |
昭和4年2月10日 | 卒去 |
栄典
勲六等瑞宝章 | |
明治28年10月16日 | 功四級金鵄勲章 授単光旭日章 |
明治30年10月30日 | 叙正六位 |
明治32年7月4日 | 大清帝国三等第一双龍宝星 |
明治35年3月31日 | 叙従五位[2] |
明治36年5月16日 | 勲四等瑞宝章[3] |
功三級金鵄勲章 | |
明治44年6月13日 | 勲二等旭日重光章[4] |
明治44年10月20日 | 叙従四位 |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[5] |
大正3年6月10日 | 叙正四位(特旨)[6] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章[7] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 石井隼太 - Wikipedia
- 官報第7315号 明治40年11月14日(木曜日)
- 官報第2930号 大正11年5月11日(木曜日)
- ↑ 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に11月22日とあるのは誤り。
- ↑ 官報第5619号 明治35年4月1日(火曜日)
- ↑ 官報第5960号 明治36年5月18日(月曜日)
- ↑ 官報第8392号 明治44年6月14日(水曜日)
- ↑ 官報第205号 大正2年4月9日(水曜日)
- ↑ 官報第558号 大正3年6月11日(木曜日)
- ↑ 官報第1310号 大正5年12月13日(水曜日)