石川漣平
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- いしかわ れんへい
- 石川漣平
- 陸軍中将従三位勲二等功五級
- 砲兵
- 士候10 砲工高10 陸大21
- 秋田県
- 明治12年2月27日 -
経歴
明治12年2月27日 | 生 |
明治31年11月25日 | 陸軍士官学校卒業(士候10) |
明治32年6月27日 | 任陸軍砲兵少尉 |
明治35年12月22日 | 陸軍砲工学校高等科卒業(第10期) |
明治39年11月22日 | 陸軍大学校入学 |
明治42年12月3日 | 陸軍大学校卒業(第21期) |
第7師団参謀 | |
大正5年11月15日 | 任陸軍砲兵中佐 補陸軍重砲兵射撃学校教官兼同校教導大隊長 |
大正5年12月26日 | 兼補陸軍技術審査部議員 |
大正6年5月2日 | 補陸軍重砲兵射撃学校教導大隊長兼同校教官陸軍技術審査部議員 |
大正7年7月24日 | 補陸軍重砲兵射撃学校教官兼陸軍技術審査部議員 |
大正8年4月15日 | 免兼陸軍技術審査部議員(廃止) |
大正8年7月25日 | 補野戦重砲兵第3聯隊長 |
大正9年8月10日 | 任陸軍砲兵大佐 |
大正10年4月1日 | 砲兵監部部員 |
大正12年8月6日 | 第13師団参謀長 |
大正13年2月4日 | 陸軍少将・陸軍重砲兵学校長 |
大正15年3月2日 | 砲兵監部附 |
昭和3年3月8日 | 野戦重砲兵第4旅団長 |
昭和4年8月1日 | 陸軍中将・陸軍重砲兵学校長 |
昭和5年8月1日 | 陸軍砲工学校長 |
昭和6年8月1日 | 待命 |
昭和6年8月29日 | 予備役 |
昭和7年4月7日 | 別当被仰付 北白川宮附ヲ命ス |
昭和17年4月13日 | 依願免本官(別当)[1] |
栄典
功五級金鵄勲章 | |
大正13年3月29日 | 叙正五位 |
昭和6年9月28日 | 叙正四位(特旨)[2] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[3] |
昭和16年時点 | 従三位 |