磐井虎二郎
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- いわい とらじろう
- 磐井虎二郎
- 陸軍中将功四級
- 歩兵
- 士候22
- 宮城県士族
- 明治22年1月9日 - 昭和56年11月16日
経歴
明治22年1月9日 | 生 |
明治43年5月28日 | 陸軍士官学校卒業(士候22) |
明治43年12月26日 | 任陸軍歩兵少尉 |
大正2年12月9日 | 任陸軍歩兵中尉 |
大正9年4月9日 | 任陸軍歩兵大尉 |
大正9年時点 | 歩兵第25聯隊中隊長 |
大正12年8月6日 | 陸軍歩兵学校教官兼同校研究部部員 |
昭和2年7月26日 | 任陸軍歩兵少佐・陸軍騎兵学校教官兼同校研究部部員 |
昭和5年8月1日 | 歩兵第35聯隊大隊長 |
昭和7年8月8日 | 任陸軍歩兵中佐・歩兵第5聯隊附(弘前高等学校服務) |
昭和10年8月1日 | 第8師団副官 |
昭和12年8月2日 | 陸軍歩兵大佐 |
昭和12年10月25日 | 歩兵第5聯隊留守隊長 |
昭和13年7月15日 | 歩兵第25聯隊長 |
昭和14年8月1日 | 陸軍少将・第21歩兵団長 |
昭和16年10月1日 | 独立混成第6旅団長 |
昭和17年8月2日 | 第2歩兵団長 |
昭和18年10月1日 | 東部軍司令部附 |
昭和19年1月7日 | 補第42警備司令官 |
昭和19年7月14日 | 任陸軍中将 補第108師団長(親補) |
昭和56年11月16日 | 死去 |
栄典
大正9年8月30日 | 勲六等瑞宝章[1] |
勲四等瑞宝章 | |
昭和9年4月29日 | 功四級金鵄勲章(年金700円) 旭日小綬章[2] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[3] |
昭和15年10月15日 | 勲二等瑞宝章 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正9年9月1日調
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正15年9月1日調
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和4年9月1日調
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和6年9月1日調
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和9年9月1日調
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和10年9月1日調
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第5号 昭和19年1月11日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120900200
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第136号 昭和19年7月14日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120914400
- 官報第4136号 昭和15年10月19日(土曜日)