秦眞次
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- はた しんじ
- 秦 眞次
- 陸軍中将従三位勲一等功五級
- 歩兵
- 士候12 陸大21
- 福岡県
- 明治12年4月6日 - 昭和25年2月24日
経歴
明治12年4月6日 | 生 |
明治32年12月1日 | 陸軍士官学校入校 |
明治33年11月21日 | 陸軍士官学校卒業(士候12) |
明治33年11月26日 | 見習士官ヲ命ス |
明治34年6月25日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治39年11月22日 | 陸軍大学校入学 |
明治42年12月3日 | 陸軍大学校卒業(第21期) |
大正2年11月15日 | 任陸軍歩兵少佐 |
大正7年7月24日 | 任陸軍歩兵中佐 |
大正8年2月10日 | 陸軍大臣官房御用掛ヲ命ス(陸軍省新聞班長)[1] |
大正11年2月8日 | 陸軍歩兵大佐・歩兵第21聯隊長 |
大正12年8月6日 | 第3師団参謀長 |
大正12年11月7日 | 参謀本部附被仰付 関東戒厳参謀被仰付[2] |
大正12年11月16日 | 東京警備参謀長 |
大正15年3月2日 | 陸軍少将・歩兵第15旅団長 |
昭和2年7月26日 | 陸軍大学校教官 |
昭和2年10月6日 | 奉天特務機関長 |
昭和4年8月1日 | 第9師団司令部附 |
昭和5年8月1日 | 第14師団司令部附 |
昭和6年8月1日 | 陸軍中将・東京湾要塞司令官 |
昭和6年10月3日 | 陸軍兵器本廠附(陸軍次官補佐) |
昭和7年2月29日 | 憲兵司令官 |
昭和9年8月1日 | 第2師団長 |
昭和10年8月1日 | 待命 |
昭和10年8月28日 | 予備役被仰付[3] |
昭和25年2月24日 | 薨去 |
栄典
明治34年10月10日 | 叙正八位[4] |
明治37年2月19日 | 叙従七位[5] |
明治38年8月11日 | 叙正七位[6] |
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲五等双光旭日章 明治三十七八年従軍記章 |
明治43年9月30日 | 叙従六位[7] |
大正4年10月30日 | 叙正六位[8] |
大正9年11月30日 | 叙従五位[9] |
大正14年12月28日 | 叙正五位[10] |
昭和6年1月16日 | 叙従四位[11] |
昭和9年9月1日 | 叙正四位[12] |
昭和10年9月26日 | 叙従三位(特旨)[13] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[14] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報号外 明治39年12月4日(火曜日)
- ↑ 官報第1956号 大正8年2月12日(水曜日)
- ↑ 官報第3364号 大正12年11月8日(木曜日)
- ↑ 官報第2598号 昭和10年8月29日(木曜日)
- ↑ 官報第5484号 明治34年10月11日(金曜日)
- ↑ 官報第6188号 明治37年2月20日(土曜日)
- ↑ 官報第6640号 明治38年8月17日(木曜日)
- ↑ 官報第8185号 明治43年10月1日(土曜日)
- ↑ 官報第976号 大正4年11月1日(月曜日)
- ↑ 官報第2500号 大正9年12月1日(水曜日)
- ↑ 官報第4046号 大正15年2月22日(月曜日)
- ↑ 官報第1225号 昭和6年1月31日(土曜日)
- ↑ 官報第2307号 昭和9年9月7日(金曜日)
- ↑ 官報第2626号 昭和10年10月2日(水曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)