稲川直衛
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- いながわ なおえ
- 稲川直衛
- 陸軍少将
- 歩兵
- 士候19
- 新潟県
- 明治19年12月27日 - 昭和24年3月28日
経歴
明治19年12月27日 | 生 |
明治40年5月31日 | 陸軍士官学校卒業(士候19) |
明治40年12月26日 | 任陸軍歩兵少尉 |
大正14年3月18日 | 陸軍歩兵少佐 |
昭和5年8月1日 | 陸軍歩兵中佐 |
昭和10年5月1日 | 歩兵第78聯隊国境守備隊長 |
昭和11年8月1日 | 陸軍歩兵大佐・高知聯隊区司令官 |
昭和14年3月9日 | 留守第11師団司令部附 |
昭和14年8月1日 | 陸軍少将 |
昭和15年3月9日 | 独立混成第7旅団長 |
昭和16年3月1日 | 北部軍司令部附 |
昭和16年4月28日 | 待命 |
昭和16年4月30日 | 予備役 |
第11軍司令部附 | |
昭和19年4月11日 | 補西部軍司令部附[1] |
昭和19年7月14日 | 補第42警備司令官 |
昭和20年2月22日 | 補光州師管区兵務部長 |
昭和20年3月31日 | 補旭川師管区兵務部長 |
栄典
大正6年2月28日 | 叙正七位[2] |
大正11年3月20日 | 叙従六位[3] |
昭和2年4月15日 | 叙正六位[4] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和10年9月1日調
- 「JACAR(アジア歴史資料センター),第67号 昭和19年4月13日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120906700
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第136号 昭和19年7月14日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120914400
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第39号 昭和20年2月22日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120934200
- 「JACAR(アジア歴史資料センター)、第74号 昭和20年3月31日 陸軍異動通報(防衛省防衛研究所)」Ref.C12120937900
- 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)
- ↑ 昭和19年7月14日異動通報第136号で第42警備司令官補職の際には前職の記載がなかった。一旦召集解除だろうか
- ↑ 官報第1372号 大正6年3月1日(木曜日)
- ↑ 官報第2888号 大正11年3月22日(水曜日)
- ↑ 官報第107号 昭和2年5月11日(水曜日)