竹橋尚文
ナビゲーションに移動
検索に移動
- たけはし なおふみ
- 竹橋尚文
- 陸軍中将正四位勲二等功四級
- 砲兵
- 石川県士族
- 嘉永4年2月6日 - 明治39年5月10日
経歴
- 石川県士族竹橋九郞太夫の長男
- 妻順は石川県士族高峰精一三女
- 男子操(明19・2生)
- 長女節(明8・5生)は鉄道院技師斯波權太郎に、三女千代(明13・6生)は建築師長野宇平治に、四女尚代(明13生)は陸軍少佐鈴木儀藏に嫁す
嘉永4年2月6日 | 生[1] |
明治3年4月 | 大阪兵学寮青年学舎入[1] |
明治4年 | 陸軍少尉[1] |
明治6年 | 陸軍大尉[1][2] |
明治12年2月24日 | 任陸軍砲兵少佐[3] |
明治14年4月30日 | 陸軍省砲兵局人員課長兼砲兵会議議員[1] |
明治17年2月13日 | 免本職 近衛砲兵大隊長砲兵少佐村井長寬不在中近衛砲兵大隊長被仰付[4] |
明治17年6月30日 | 補近衛砲兵大隊長兼砲兵会議議員[5] |
明治18年5月25日 | 任陸軍砲兵中佐[6] |
明治18年5月26日 | 砲兵第5聯隊長[7] |
明治21年11月16日 | 任陸軍砲兵大佐[8] |
明治23年10月15日 | 補砲兵会議議長[9][10] |
明治24年6月9日 | 補砲兵会議幹事[11][10] |
明治24年8月6日 | 兼補砲兵会議議員[12] |
明治24年12月26日 | 補東京砲兵工廠提理[13][14] |
明治25年2月13日 | 兼補砲兵会議議員[15] |
明治27年1月13日 | 免兼職[16] |
明治29年6月6日 | 補由良要塞司令官[17] |
明治29年10月14日 | 任陸軍少将[18] |
明治33年4月25日 | 陸軍兵器監 |
明治35年5月5日 | 任陸軍中将 予備[19] |
明治39年5月10日 | 卒去[20](病没) |
栄典
明治7年3月9日 | 叙正七位[21] |
明治13年 | 勲五等[1] |
明治19年5月29日 | 勲四等旭日小綬章[22] |
明治23年12月26日 | 叙従五位[23] |
明治27年5月29日 | 勲三等瑞宝章[24] |
明治28年10月21日 | 功四級金鵄勲章(年金500円) 旭日中綬章 (明治二十七八年戦役の功)[25] |
明治29年5月15日 | 叙正五位[26] |
明治34年7月1日 | 叙従四位[27] |
明治34年12月27日 | 勲二等瑞宝章 賜金1250円 (明治三十三年清国事変の功)[28] |
明治35年5月10日 | 明治三十三年従軍記章[29] |
明治35年8月20日 | 叙正四位(特旨)[30] |
明治39年5月10日 | 卒去 授旭日重光章[31] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 竹橋尚文 (初版) - 『人事興信録』データベース
- ↑ 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 国民過去帳 明治之巻
- ↑ 2.0 2.1 陸軍武官録
- ↑ 3.0 3.1 「職員録・明治十七年七月・陸軍将校並同等官実役停年名簿(国立公文書館)」Ref.A09054353200
- ↑ 4.0 4.1 官報第186号 明治17年2月15日(金曜日)
- ↑ 5.0 5.1 官報第306号 明治17年7月7日(月曜日)
- ↑ 6.0 6.1 官報第595号 明治18年6月26日(金曜日)
- ↑ 7.0 7.1 官報第574号 明治18年6月2日(火曜日)
- ↑ 8.0 8.1 官報第1617号 明治21年11月17日(土曜日)
- ↑ 9.0 9.1 官報第2191号 明治23年10月16日(木曜日)
- ↑ 10.0 10.1 10.2 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』では砲兵会議議長就任と同幹事就任を混同している。
- ↑ 11.0 11.1 官報第2382号 明治24年6月10日(水曜日)
- ↑ 12.0 12.1 官報第2433号 明治24年8月8日(土曜日)
- ↑ 13.0 13.1 官報第2550号 明治24年12月28日(月曜日)
- ↑ 14.0 14.1 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に明治24年12月11日とあるのは誤り。
- ↑ 15.0 15.1 官報第2585号 明治25年2月16日(火曜日)
- ↑ 16.0 16.1 官報第3162号 明治27年1月16日(火曜日)
- ↑ 17.0 17.1 官報第3883号 明治29年6月10日(水曜日)
- ↑ 18.0 18.1 官報第3992号 明治29年10月16日(金曜日)
- ↑ 19.0 19.1 官報第5648号 明治35年5月6日(火曜日)
- ↑ 20.0 20.1 官報第6889号 明治39年6月18日(月曜日)
- ↑ 21.0 21.1 太政官日誌 明治7年 第1−63号
- ↑ 22.0 22.1 官報第904号 明治19年7月7日(水曜日)
- ↑ 23.0 23.1 官報号外 明治23年12月28日(日曜日)
- ↑ 24.0 24.1 官報第3273号 明治27年5月30日(水曜日)
- ↑ 25.0 25.1 官報第3695号 明治28年10月22日(火曜日)
- ↑ 26.0 26.1 官報第3862号 明治29年5月16日(土曜日)
- ↑ 27.0 27.1 官報第5398号 明治34年7月2日(火曜日)
- ↑ 28.0 28.1 官報第5548号 明治34年12月28日(土曜日)
- ↑ 29.0 29.1 官報第5828号 明治35年12月5日(金曜日)
- ↑ 30.0 30.1 官報第5740号 明治35年8月21日(木曜日)
- ↑ 31.0 31.1 官報第6858号 明治39年5月12日(土曜日)