笠井平十郎
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- かさい へいじゅうろう
- 笠井平十郎
- 陸軍中将正四位勲一等功五級
- 騎兵
- 士候15 陸大26
- 東京都
- 明治17年1月2日 - 昭和48年5月29日
経歴
明治17年1月2日 | 生 |
明治36年11月30日 | 陸軍士官学校卒業(士候15) |
明治37年2月12日 | 任陸軍騎兵少尉 |
明治44年12月12日 | 陸軍大学校入学 |
大正3年11月27日 | 陸軍大学校卒業(第26期) |
陸軍騎兵学校教官[1] | |
大正12年8月6日 | 補陸軍大学校兵学教官兼陸軍騎兵学校教官[1] |
大正15年5月1日 | 参謀本部附被仰付(欧州出張)[2] |
大正15年7月28日 | 陸軍騎兵大佐 |
昭和2年2月22日 | イタリア大使館附武官 |
昭和3年8月10日 | 陸軍大学校教官 |
昭和4年8月1日 | 騎兵第28聯隊長 |
昭和6年6月11日 | 補仏国在勤帝国大使館附武官 兼補陸軍技術本部仏国駐在官陸軍航空本部仏国駐在官[3] |
昭和6年8月1日 | 任陸軍少将 |
昭和8年6月22日 | 参謀本部附被仰付 |
昭和8年12月20日 | 騎兵監部附 |
昭和9年8月1日 | 騎兵第2旅団長 |
昭和10年8月1日 | 任陸軍中将・騎兵集団長 |
昭和12年8月2日 | 待命 |
昭和12年10月30日 | 予備役 |
昭和13年4月16日時点 | 留守第14師団長[4] |
昭和17年7月3日 | 任陸軍司政長官 叙高等官一等[5] |
昭和48年5月29日 | 死去 |
栄典
明治37年4月7日 | 叙正八位[6] |
明治38年8月18日 | 叙従七位[7] |
明治39年4月1日 | 功五級金鵄勲章(年金300円) 勲六等単光旭日章 明治三十七八年従軍記章 |
明治43年9月30日 | 叙正七位[8] |
大正4年10月30日 | 叙従六位[9] |
大正9年11月30日 | 叙正六位[10] |
大正14年12月28日 | 叙従五位 |
昭和4年4月23日 | イタリア王国聖マウリッツィオ・ラザロ勲章コンメンダトーレ佩用允許[11] |
昭和6年2月2日 | 叙正五位 |
昭和7年10月1日 | 朝鮮昭和五年国勢調査記念章 |
昭和10年9月2日 | 叙従四位 |
昭和10年9月21日 | 満洲国皇帝訪日紀念章佩用允許 |
昭和12年10月20日 | 叙正四位(特旨) |
昭和15年4月29日 | 勲一等旭日大綬章 |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章 |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 昭和10年9月1日調
- 官報号外 明治39年12月4日(火曜日)
- 官報第4047号 大正15年2月23日(火曜日)
- 官報第1233号 昭和6年2月10日(火曜日)
- 官報第1900号 昭和8年5月5日(金曜日)
- 官報第2606号 昭和10年9月7日(土曜日)
- 官報第2958号 昭和11年11月10日(火曜日)
- 官報第3242号 昭和12年10月21日(木曜日)
- 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)
- 官報第4586号 昭和17年4月27日(月曜日)
- ↑ 1.0 1.1 官報第3306号 大正12年8月7日(火曜日)
- ↑ 官報. 1926年05月03日
- ↑ 官報. 1931年06月12日
- ↑ 「JACAR(アジア歴史資料センター)、徴兵処分取消の件(防衛省防衛研究所)」Ref.C01001564800
- ↑ 官報第4644号 昭和17年7月4日(土曜日)
- ↑ 官報第6228号 明治37年4月8日(金曜日)
- ↑ 官報第6648号 明治38年8月26日(土曜日)
- ↑ 官報第8185号 明治43年10月1日(土曜日)
- ↑ 官報第976号 大正4年11月1日(月曜日)
- ↑ 官報第2500号 大正9年12月1日(水曜日)
- ↑ 官報第694号 昭和4年4月25日(木曜日)