笠藏次
ナビゲーションに移動
検索に移動
- りゅう くらじ
- 笠 藏次
- 陸軍少将従四位勲三等功三級
- 歩兵
- 士候15
- 熊本県士族
- 明治13年7月1日 -
経歴
明治13年7月1日 | 生 |
明治36年11月30日 | 陸軍士官学校卒業(士候15) |
明治37年2月12日 | 任陸軍歩兵少尉 |
大正14年8月7日 | 任陸軍歩兵中佐 |
昭和5年8月1日 | 任陸軍歩兵大佐・第6師団司令部附(熊本医科大学服務) |
昭和7年12月6日 | 留守第6師団司令部附(熊本医科大学服務) |
昭和8年3月18日 | 歩兵第50聯隊長 |
昭和9年8月1日 | 奄美大島要塞司令官 |
昭和10年6月26日 | 任陸軍少将[1] 待命被仰付[2] |
昭和10年6月28日 | 予備役被仰付[3][1] |
昭和14年4月1日 | 後備役[4] |
栄典
明治37年5月17日 | 叙正八位 |
明治38年8月18日 | 叙従七位 |
功四級金鵄勲章 | |
明治43年9月30日 | 叙正七位 |
明治45年5月24日 | 勲五等瑞宝章 |
大正4年10月30日 | 叙従六位 |
大正8年5月30日 | 勲四等瑞宝章 |
大正9年11月30日 | 叙正六位 |
昭和3年5月22日 | 勲三等瑞宝章 |
昭和6年2月2日 | 叙正五位 |
昭和9年3月1日 | 満洲国建国功労章佩用允許[5] |
昭和9年4月29日 | 功三級金鵄勲章(年金700円) 旭日中綬章 昭和六年乃至九年事変従軍記章 |
昭和10年7月19日 | 叙従四位(特旨) |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[6] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第6267号 明治37年5月24日(火曜日)
- 官報第6648号 明治38年8月26日(土曜日)
- 官報第8185号 明治43年10月1日(土曜日)
- 官報第8679号 明治45年5月27日(月曜日)
- 官報第976号 大正4年11月1日(月曜日)
- 官報第2046号 大正8年5月31日(土曜日)
- 官報第2501号 大正9年12月2日(木曜日)
- 官報第419号 昭和3年5月23日(水曜日)
- 官報第1234号 昭和6年2月12日(木曜日)
- 官報第2464号 昭和10年3月23日(土曜日)
- 官報第2564号 昭和10年7月20日(土曜日)
- ↑ 1.0 1.1 『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』に昭和10年8月1日陸軍少将・予備役とあるが誤り。
- ↑ 官報第2544号 昭和10年6月27日(木曜日)
- ↑ 官報第2546号 昭和10年6月29日(土曜日)
- ↑ 官報第3715号 昭和14年5月27日(土曜日)
- ↑ 官報第2413号 昭和10年1月21日(月曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)