菅野尚一
ナビゲーションに移動
検索に移動
- すがの ひさいち
- 菅野尚一
- 陸軍大将正三位勲一等功三級
- 歩兵
- 士候2 陸大13
- 山口県
- 明治4年3月21日 - 昭和28年6月20日
経歴
明治4年3月21日 | 生 |
明治24年7月30日 | 陸軍士官学校卒業(士候2) |
明治25年3月21日 | 任陸軍歩兵少尉 |
明治29年12月 | 陸軍大学校入学 |
明治32年12月21日 | 陸軍大学校卒業(第13期) |
明治42年8月26日 | 陸軍省軍務局課員 |
明治43年11月30日 | 陸軍歩兵大佐・陸軍省軍務局歩兵課長 |
大正3年8月10日 | 陸軍省高級副官 |
大正4年8月10日 | 陸軍少将・教育総監部附(臨時軍事調査委員長) |
大正7年7月24日 | 歩兵第29旅団長 |
大正7年12月17日 | 陸軍省軍務局長 |
大正8年7月25日 | 陸軍中将 |
大正11年2月8日 | 第20師団長 |
大正13年8月20日 | 台湾軍司令官 |
大正14年8月1日 | 陸軍大将 |
大正15年7月28日 | 軍事参議官 |
昭和2年12月16日 | 予備役 |
昭和12年4月1日 | 後備役[1] |
昭和28年6月20日 | 薨去 |
栄典
明治25年7月6日 | 叙正八位[2] |
明治28年2月28日 | 叙従七位 |
明治28年10月31日 | 勲六等単光旭日章 賜金84円 |
明治31年12月22日 | 叙正七位 |
明治35年5月10日 | 明治三十三年従軍記章[3] |
明治44年6月13日 | 勲三等旭日中綬章[4] |
大正1年8月1日 | 韓国併合記念章[5] |
大正4年9月10日 | 叙正五位 |
大正4年11月7日 | 賜金2650円 大正三四年従軍記章[6] |
大正4年11月10日 | 大礼記念章 |
大正8年8月25日 | 勲二等瑞宝章 |
大正8年9月10日 | 叙従四位 |
大正9年11月1日 | 勲一等旭日大綬章 賜金四千円(大正四年乃至九年戦役並ニ対独平和条約等締結ノ功) 大正三年乃至九年戦役従軍記章[7] 戦捷記章[8] |
大正10年5月30日 | 銀杯一箇(陸軍治罪法及海軍治罪法改正ニ関シ尽力尠カラス)[9] |
大正10年7月1日 | 第一回国勢調査記念章[10] |
大正11年2月28日 | 叙正四位 |
大正14年3月31日 | 叙従三位 |
昭和3年1月14日 | 叙正三位(特旨)[11] |
昭和15年8月15日 | 紀元二千六百年祝典記念章[12] |
出典
- 外山操『陸海軍将官人事総覧 (陸軍篇) 』(芙蓉書房、昭和56年)
- 官報第3708号 明治28年11月6日(水曜日)
- 官報第1334号 大正6年1月16日(火曜日)
- ↑ 官報第3115号 昭和12年5月25日(火曜日)
- ↑ 官報第2707号 明治25年7月7日(木曜日)
- ↑ 官報第5820号 明治35年11月26日(水曜日)
- ↑ 官報第8392号 明治44年6月14日(水曜日)
- ↑ 官報第205号 大正2年4月9日(水曜日)
- ↑ 官報第1190号 大正5年7月19日(水曜日)
- ↑ 官報第2612号 大正10年4月19日(火曜日)
- ↑ 官報第2903号 大正11年4月10日(月曜日)
- ↑ 官報第2648号 大正10年5月31日(火曜日)
- ↑ 官報第2858号 大正11年2月14日(火曜日)
- ↑ 官報第313号 昭和3年1月17日(火曜日)
- ↑ 官報第4438号 昭和16年10月23日(木曜日)